熱のときに見る夢/青りんご味

サイケデリックな映像を「熱のときに見る夢」と表現するある種のユーモアが(たぶんネット発で)存在していて、ぶっちゃけあまり好きではない。だってそんな夢見たことないもん。他の人はあるのかもしれないけど、なんとなく勘で笑っているだけだろ?と思っている。

「サイケデリック」とか、音楽でいえば「アシッド」みたいな感覚というのはもとはドラッグカルチャーから来たもので、本来ふつうの日本人にとっては分からない、どこまでいっても三人称的な口ぶりでしか語れない言葉なのだろうなと思う。YouTubeを探すとゴアトランスのライブ会場で踊り狂っている外国人とかを見ることができるが、もう目はヘロヘロで半分おっぱいが見えていて、つまり彼ら彼女らに聞こえている曲と俺に聞こえている曲は決定的に違うのである。合法的に生きている人間はアシッドハウスとかサイケデリックトランスの当事者にはなれなくて、どれだけ聞き込んだとしても「麦茶しか飲んだことがないビール評論家」みたいな生理的限界がある。

(どうやら)サイケデリック(とされているらしい)映像も、もちろんLSDとかキノコとかの幻覚剤をやったことある人はそれを当事者目線で語れるのだろう。でもそうでない大多数の人間にとって「熱のときに見る夢」というワードは、こうした狂った視覚表現を一人称的に語れる便利な単語としてスナック菓子のように普及したのだと思う。「熱のときに見る夢みたい」と言うだけで「私はこれを見たことがある」と暗に表現できる。でも実はほとんど誰も見たことがないのではないだろうか。

似た表現で「ガンギマリ」もあるけど、これはどちらかというと映像の作者に対する評価で、二人称的な感じがする。日本で大麻が解禁されたらこういう類のユーモアがもっと多様化するのかと思うと絶対に解禁しないでほしい。一時ネットで流行った「ストゼロ文学」も、賞味期限が切れた中島らものジェネリックにしか見えなかった。アルコールだろうがTHCだろうがLSDだろうが向精神薬でイキる文化は大衆化しないでほしい。

そういえば似たものでいうと「青りんご味」も同じヘンテコさがある。あんたら青りんご食ったことあるか?ぶっちゃけないでしょ?でも全員が「青りんご味」は知っているし、知った気になっている。みなさんはハイチュウやのど飴に封印された「青りんごの概念」を食っているだけです。あと「卵が腐った匂い」もそうで、本当に卵を腐らせて嗅いだことがある人ってあまりいないんじゃないか。レンタル感覚と借り物ボキャブラリーの奴隷として生きる我々は、スーパーで青りんごを見かけたら買ってみるとか、卵をベランダで腐らせてみるとかやったらいい。真のリベラル・アーツ(=人を自由にするわざ)ってこういうことだと思う。

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