霊現象に関する立ち位置と最終完全回答

芸人をやっているので、幽霊に関する仕事やライブの話が来たりする。始めたての頃は何でもチャレンジしたほうがいいと思って受けたりしていたけど、最近は逆に避けるようにしている。あるいは、これは仕事に関係なく「幽霊を信じているか?」という質問をされることがあって、毎回おんなじ回答をして、似たような問答に発展するのが面倒くさいので、全部書いておくことにする。今後「これ読んどいて。全部書いてるから」と渡すための記事である。

以下、思いついた順に箇条書き。

・最初に結論から言っておくと、他人が「幽霊を見た」という体験自体は尊重するが、幽霊はいないという立場である。

・死者を恐れるきもちは原始的なアニミズムの中に共通して存在する。万物に霊魂が宿るという世界観の中で、天災や不慮の事故というのは、人間の生命を奪いに来る主体としての霊魂が存在することになる(よって先回りして命を差し出すのが生贄である)。その正体を既に死んだ祖先やそこで死んだ人間に求めるのは世界的にみられるもので、死者を畏怖・忌避するのは人間の本能的な感情であるといえる。あなたにもある感情だし、私にもある。「死者は怖い」と「死者が幽霊になるのは信じていない」はもっと理性的なレベルで両立する。

・本能的な部分でいうと、たとえば暗闇を怖いと思うだとか、特定の音に恐怖を感じるのも仕方がないことである。「霊が怖くないなら夜に廃病院に一人でいっても怖くないのか?」みたいなアホな質問をしてくる人がいるのだけど、まず一人で夜に歩くこと自体が本能的に怖いので、廃病院だろうがどこだろうが怖いに決まっている。「これから塩を使わずに料理します。使うのは醤油です。」がジョークとして通じない人がいるのだ。

・本能的に精神的な不安を感じさせる、あるいは不調を生じさせるシチュエーションが存在する。先ほど言った暗闇が代表的だ。むかし人の家に行ったとき、「霊が見える人がみんなここを指さす」という場所を見せてもらうと、部屋の角であった。四隅がシーリングライトの関係で光が当たりにくくなっている部屋で、四隅のうち二つはふすまが開閉して人の出入りがあり、もう一つはテレビが置いてあった。残る一つが「いわくつき」なのは、単に動きのない暗闇であるだけなのだろう。

・「入居者が死んで、それ以来霊現象が起きている部屋」みたいなのも、因果関係が逆だったりするのではないかと思う。例えば日照の少ない部屋だと精神に不調をきたしやすい。水道や電車の関係で頻繁に異音がおきる部屋なんかも同じである。そうした物件はそもそも「入居者の精神が追い込まれやすい部屋」であって、自殺や殺人事件はその結果であったりする。事件があった部屋にあとから入居する人がみんな異変を訴える、という話は「溺死事故があった川に入った人がみんな濡れて帰ってくる」と同じである可能性が高い。

・人間の脳には「存在しないものを見る機能」が最初っからビルトインされている。代表的なものは錯視だろう。LSDなどの幻覚剤、統合失調症や認知症などの疾患をトリガーとして幻覚や幻聴が発生するのは、脳にもともとそういう機能があるからである。また逆に「存在しないものが見えにくい」という性質も存在する。たとえば事故によって脳の一部を損傷した人やASD(自閉スペクトラム症)の一部の人ではカニッツァ錯視が見えない、あるいは見えにくくなることが報告されている。ここで誤解しないでほしいのだが、「幽霊が見える」ということをいたずらに病理的形質と結び付けたいわけではない。それは単に「脳の個体差」にすぎないという点を強調したい。人間は正常な状態でも存在しないものが見えていて、それに強弱がある。それが霊なのか錯視なのか幻覚なのか嘘なのかは、外側からは分からない。

・とはいえ、過度の幻覚や幻聴が治療を要する可能性は高いだろうとも思う。心霊という話題はそうした人びとの負の感情を焚きつけることが多く、霊感商法なんかは原始的な脳の恐怖回路をハックしたものだと言える点で、やはり悪だと断言したい。

・これはつまり「味("色"でもいい)の存在を信じるか」みたいな話だ。受容体はある。だけどそこからの信号が脳でどんな感覚を引き起こしているのかは、あなたの頭の中にしかない。「塩の味がした」「黄色を見た」という経験そのものが存在するのかという問題、「味」や「黄色」そのものが客観的な視座から存在するのかという問題、塩化ナトリウムや波長550ナノメートルの光が存在するのかという問題、それぞれの問題は質的に異なる。これはクオリアの問題と同じだ。

・心霊写真については、かつてフィルムが使用されていた時代のものはすべて解明されている。意図しない露光、高温による圧着、現像の際のミス。これで説明できないものだけ見せに来ること。デジタルな画像については加工が容易なので、検証のしようがない。

・「複数人が見たので本当」のたぐいについては集団幻覚、集団催眠、集団ヒステリーの歴史を見てから話してほしい。かつて「こっくりさん」が全国の学校で禁止されたのは、それが霊的に危険だからではなく子どもが集団催眠を起こしやすいからである。

・かつて同級生と3人で旅行に行ったときに、道路の向こうにハトが血を流して死んでいるのが見えた。「ハト死んでるやん」というと、他の2人も「うわー」「マジや」と答えた。そのまま近づいていくと、グレーの地に赤いロゴが書かれたスーパーの袋だった。それを3人ともがハトだと勘違いしたのだ。複数人が同時に目撃したものなんて、この程度の信憑性しかない。

・ラップ音については木造建築であれば木材の吸湿と乾燥による体積の変化で生じるもの、鉄筋が使用されている部屋では温度変化による体積の変化であることがほとんどである。いずれも人間が入ること、あるいはそこで料理などの活動をすることで生じうる。

・ただ、上記のようにうまく説明できるものばかりではなく、もちろん「訳の分からない不思議なこと」は存在する。ただ、それを説明する「機械仕掛けの神」は幽霊以外にもある。それは日本では古くから妖怪や狐狸のたぐいであったし、一昔前のアメリカではUFOや宇宙人であった。つまり、霊現象を体験した人がたくさんいるのではなく、通常の論理では説明がつかないことが起きたときにそれを幽霊で説明しようとする人がたくさんいるだけである。

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