THE SECONDのルール作った人天才

『THE SECOND ~漫才トーナメント~』を見て、このルール作った人、マジで頭いいな~と思った。

一応見てない人のために書いておくと、
・1対1で戦うトーナメント形式
・各試合では観客=審査員が一人1点、2点、3点を各芸人に投票する
・配分は決まっておらず、両方に3点を投じてもいい
・試合後にランダムに審査員にコメントを求める
という形式で進行していた

個人的には、最高の大会・最高の興行になったと思う。芸人の面白さについては他の人が語ると思うので、見ていて感服したルールの素晴らしさを書いていく。

①点数のレンジとトーナメント形式の相性

この記事でも触れられている通り、あまり投票できる点数に幅を持たせると、極端な配分をする「バランスブレイカー」が出現することで各審査員の重みが変わってしまう可能性がある。なので1~3の整数値に抑えられている。

では試合形式をどうするのが適切なのかを考えると、普通に考えて以下のような形式が候補になると思う。

・総当たり
・総得点数での順位づけ
・トーナメント

総当たりや、あるいは独自の特殊なルールを設けた場合、これはテレビ放送の時間制限と、視聴者の理解のしやすさの点でなかなか厳しいものがある。

では総得点で順位付けをするとなると、これはM-1で指摘されているように「後半の方が有利(過去に作った基準点を更新するたびに上振れしていくから)」という問題が発生する。これは各審査員の点数のレンジを狭めればより顕著になる(後になるにつれ3点ばっかになっちゃう)。

なので、審査員の数を増やし、各審査員の点数のレンジを狭め、トーナメントで各試合ごとに勝敗をつけるというルールが適しているっぽい。たとえばこれが1ブロックで3組とかだと、一番上から3点→2点→1点とつける人が増えて事実上の順位づけになってしまうし、もっと組数が多ければ3点ばかりもしくは2点ばかりの審査員が多数になると思う。

②ランダム性と倫理

これはTHE SECONDに限らず、ルールの設計の中にランダム性をもたせると、ルールを厳格化するよりも効果が出る場合がある。

審査員に対し(ある程度)ランダムにコメントを求めるというルールは、審査の公正さに一役買っていた。たとえば点数差を設けた場合、その理由を聞かれる可能性があるからだ。放送を見ている限り、かなり厳選されたお笑いのファン(もしくは業界関係者?)が審査員に選ばれていたようだが、それでも特定の芸人にだけ高得点をつけるようなファンが紛れ込んでもおかしくない。あるいは特定の芸人のアンチが紛れ込む場合だってある。

ここで、コメントが完全にランダムに選ばれるとした場合の確率を考える。

8組でトーナメントを行う場合、試合数は7試合。対戦ごとに2人程度コメントを求められるとするならば、会場の100人から14人が選ばれることになる。つまり14%=7分の1の確率で自分に回ってくる。

もしも無責任な審査をする人がいた場合、7分の1で暴かれると考えるとかなり怖く、この確率は抑止力としてはたらく。逆に特定の芸人のアンチが全国放送で変なことを言いたがっているとしたら、7分の1でしか目立つことができないのは割に合わない。

このあたり、審査員の人数と点数のレンジ、そしてコメントを求められる確率というのがうまくかみ合って、公正な審査の下地を形成したように思う。ただ今後大会が続いていくと、やっかいな審査員が電波に乗るということも起こりうる。まあそれはその番組が「持っている」かどうかという神話にもなっていくんだろうな。

「物語」をコンテンツにすることと競技としての公平性

余談。芸歴16年以上の大会ということは、そこに芸人としての長い「物語」がすべてのコンビにつきまとう。

M-1であれば、決勝の後日に「アナザーストーリー」が放送される。しかしそれは「チャンピオン」の物語であって、ほかのファイナリストにまとわりついた物語は、多くが棄却される。

THE SECONDは、決勝の煽りVTRで、それぞれの芸人が歩んできたストーリーをかなり重厚に取り上げていた。つまり人間ドラマとしてのTVショー=興行と、しかしながら開かれた賞レース=競技としての2つの側面があった。

あまりにもドラマを演出しすぎては採点に響く。しかしそれを完全に省いた中立なルールでは、あまりにも味気ない。お笑いファンが考える夢のような無差別級の大会は、必ずやこのジレンマを抱えることになる。

THE SECONDはこの難題をうまく回避した!ドラマを描いたうえで、それが贔屓にならないようにするための点数のレンジと、確率の「脅し」による公正さ。これが大会の一発目に既に完成しているなんて、ゲームとしてあまりにも美しいデザインをしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?