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『途中で書くのやめたネタの続きをAIに考えさせてみた』というライブについて

5月7日に『途中で書くのやめたネタの続きをAIに考えさせてみたver2.0』というライブを主宰します。中身はタイトルのまんまです。芸人誰しも、続きが思い浮かばなくて放置しているネタがあるので、その続きをAIに書かせるという内容になります。

配信もあり、皆さんに見てほしいので、ちょっとだけ内容をお話しします。

去年の実績について

去年にも同じタイトル・同じ趣旨のライブを主宰しました。そのときはまだChatGPTはリリースされておらず、「AIのべりすと」というサービスにネタの続きを書いてもらいました。

AIのべりすとは「小説の続きを書く」という機能のAIです。学習している内容が小説なので、たとえば「ある作家に似せた文体」みたいな出力が可能です。去年のライブに際しては僕が有料会員になり、漫才台本の補助として「ネット上の漫才の書き起こし」を、コント台本の補助として「世にも奇妙な物語のあらすじ」をMODとして学習させたのちに出力させました。

もちろん一発で「おもしろい」ものが出来上がることはそうそうなく、なんとかネタの形式に沿った、最低限のつじつまが合っている台本になるまでガチャを引くような作業でした。しかもラノベの文体を筆頭に標準語の会話が多く、漫才師の人たちにはかなり苦労をさせました。ただボニーボニーさんだけはもともと標準語ツッコミだったので、クッサいラノベみたいな口調が奇跡的にマッチするという結果になり、ライブとしては大成功でした。

AIのべりすとが小説を学習データとしている以上、陥りがちな不都合もたくさんありました。例えば美少女が第三者として介入してくる、地の文になって急にまとめにかかる、「3年後……」みたいなことを言い出したりする、など。けっこう荒唐無稽でとんでもない展開になることが多く、それはそれでネタとして機能しそうな部分も多いものの、それでもAIにお笑いの台本を書かせるのはなかなか難しいなという感覚で、まだまだ遠い未来を予感させる甘いしびれだけが残りました。

ChatGPTは何ができる?

ChatGPTのリリース後、さまざまな芸人がYouTubeの企画やラジオなどでChatGPTにネタを書かせようとしてきました。そしてその多くはネタとしては使えず、面白くはないという評価となっています。僕の感覚としては、面白さでいえばAIのべりすとの方が面白いとさえ思います。これだけ時代を変えると言われているChatGPTが面白くないのはなぜなのでしょうか。

その前に少しAIの話。

僕も近年のAIについて完全に把握しているわけではないのですが、ざっくりいうとChatGPTとは「膨大な量の文を学習させたら、お手本なしでもつじつまの合う文章や会話を書けるようになったので、それを会話型のサービスとしてリリースした」みたいな感じのAIです。なので、人間のような思考回路を経由して喋っているわけではありません。たとえば「"We have a right to live wherever we want to"を翻訳して」と言われたら、普通の日本人なら「このrightは右じゃなくて権利を意味していて、次のtoは不定詞で……」と考えます。しかしこのAIはそうした考え方を誰かに教えられたわけではありません。上の文に対し、膨大な量のデータから対応する確率の高い文を見繕って吐いているだけです。「翻訳して」に続けるなら日本語に翻訳する確率が高くて、「We have a right to」は「~する権利を有する」に対応する確率が高くて、という風につなげていくわけです。わかる人向けに話すと、「マルコフ連鎖のもっとすごい版を仕込んだだけで、翻訳の仕方を教えたわけではないのに翻訳ができるようになった」というブレイクスルーが(Chat)GPTです。

ここで重要なのは「後にくる確率が高いものをつなげていく」というプロセスです。例えば「機動戦士」ときたら「ガンダム」とくる確率が高くて、「美少女戦士」ときたら「セーラームーン」でしょ、というのをもっと長い単位でやっているのと変わりません。その延長線としてサイトを要約したり、質問にまあまあの精度で解答したりできるようになったということです。

ということは、例えばYouTubeの人気企画であったりだとか、テレビやライブの企画のように、ある程度なぞるべきロールモデルがあるようなものについては既にAIに書かせることが可能だと思います。ではお笑いの台本も同じように書けそうなもんですが、これが失敗に終わるのはなぜなのでしょうか。

なぜお笑いが苦手なのか?

小説のプロットを書かせようとした人もいるようですが、概ね評価は芳しくありません。それはお笑いに限らず、「面白い創作物」がある種の予測不可能性、一回性、新奇性を必要とするからです。「面白い」とされている既存のデータから導かれる確率の高いもの=今となってはよくある平均的なもの=面白くない、という自己言及的なパラドックスが発生しているのです。

「面白い漫才」の台本や「ヒットしたコメディ映画の脚本」の平均をとったものは、「よくあるJ-POPの歌詞」が何も響かないのと同じで面白くないのです。おまけにAIは「面白いとは何か」を思考しているわけじゃないので、今後もっと多くのデータを学習させたとしても、この問題は簡単には解決しないでしょう。

『SAVE THE CATの法則』という、脚本の書き方を語った本があり、そこには売れる脚本を書くためのテンプレートが載っています。そういうのを使えばいいと思うかもしれませんが、これをAIに指示しても(それを指示できるというのがすごいですが)結局「売れた映画でやりつくされた展開」が出来上がります。何度も言いますが、「売れた映画でやりつくされた展開の映画」を今さら発表しても、たぶん売れません。

お笑いでも「システム」という言葉が最近市民権を得つつありますが、システムを発明しても中身に面白さがなければ意味がありません。システムだけで面白がってくれるなら、ミルクボーイさんは何年も前にM-1で優勝しているはずなんです。おまけにその「システム」が被ろうものなら、それはそれでパクリと言われます。つまりAIに書かせるべき定石が存在しないのです。

いろいろ書きましたが、つまり我々お笑い芸人がネタにおいてAIを活用するためには、「整合性」のたがを外す必要があります。不条理でとんちんかんなことを、各コンビのネタという、特殊で個別なフレームワークの中に落とし込む作業が必要です。AIのべりすとの場合はあまりにも変な展開になることが多かったのですが、それが逆に良かったのです。しかし、ChatGPTはその「整合性」をこそウリにしている。じゃあどうするか?

……という部分をライブでお見せできればと思います。

「AIの書いた変なネタをやる」というライブだった去年から少し前進します。ぜひ来てください。配信もあります。

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