ジャーゴンの相転移

ベルクソンという哲学者の書いた『時間と自由』という著作がある。このなかでベルクソンは「時間」という言葉の用法を批判した。その内容を要約するとこうだ。時間という言葉の意味は”空間化”されている、つまり時計の針の運動のような形で別の量的形態に押し込められており、「ほんとうの時間」は質的なものなのだと主張した(そしてその"ほんとうの時間"なるものを「持続」と名付けた)。この考察にうなづく人はいても、果たして誰がこの言葉づかいを改めるだろうか。「二時間後に到着します」というLINEに「時間を数えるな!」と返信する勇気はない。時間とは、テコに哲学を乗せても動かないほどに「いわゆる時間」として流通するものであり、それは時間以外もそうである。

VTuberのしぐれういの楽曲『粛聖!!ロリ神レクイエム☆』がMV公開から1か月で3000万再生の大バズ、これに合わせて踊ってみたを公開した元うたのおにいさん・横山だいすけが炎上、Xで便乗した防犯ブザー販売会社のアーテックも炎上。何が何やらというこの一連の炎上劇のコンテクストはこちらのブログに詳しい。つまり、一見すると小児性愛を歌っているように聞こえる楽曲にうたのおにいさんや防犯ブザーの会社が反応した点で炎上したのだが、それはコンテクストを知らない人間による誤解なのだという。「この曲は小児性愛のロールプレイを茶化したものであってほんとうの小児性愛を歌っているわけではない」という論旨は、どこかベルクソンの時間論を思い出させる。

今年の2月に行われたH3ロケット初号機の打ち上げにおいて、離陸時にフェイルセーフが発動して「中止」「延期」となったものを、共同通信の記者が会見で執拗に「失敗」と言わせようとして炎上したことも記憶に新しい。
工程上は「abort」であるから失敗という和訳にはならない、という主張ももっともだし、「できるはずのことができなかった」は失敗じゃないの?という一般人的な感覚も分かる。「ほんとうの失敗」とは何かにこだわったせいで軋轢を生んだ、鮮度バツグンの寓話のようにも思える。

もう一つ例を挙げると、女性プロゲーマーが配信で「170cm以下の男は人権ない」と発言して炎上した事件も同じ構造の話だ。「眼中にない」「まともに相手されない」というニュアンスで「人権がない」という言葉をカジュアルに使用するノリがネットの一部界隈にはある。そうした人々が、その外側にいる「ほんとうの人権」を知る人々によってたこ殴りにされたのがこの一件だった。

これらは、不祥事に際して「真意が伝わらなかった」を弁明に用いる政治家の「真意」とはわけが違う。真意をあえて曲げたり、類義語を明確に拒絶することによって生まれた言葉遊びや専門用語が、外気に触れて急速に錆びる現象である。当事者が発するべきだったのは「この言葉づかいはあなたに向けたものではない(Not for you)」という釈明で、しかし十分に公的になるほど広がってしまったがゆえに、多数派の論理で無慈悲にも裁かれてしまった。

われわれは常にそれぞれの狭い世界で暮らしており、その狭い世界の中であわよくば成功したいと思っている。会社でのし上がろうとするサラリーマンも、地元を統べる半グレも、決して世界を手中に収めたいとは思っていない。かつて「夜空の星さえもイギリスに併合したい」と豪語したセシル・ローズは、現代によみがえっても同じことを言うだろうか。

様々な分断が可視化されたこの現代では、皆様が聡明にも、分断の内側だけのささやかな幸せを手に入れようともがいている。業界用語やその集団内だけのユーモア、つまり「ジャーゴン」は、そのための通行手形である。VTuberの配信に参加するためのノリ、工学的に正確な用語、露悪的なユーモアを共通語として会話する。これはバベルの塔の逆で、バベルの塔など完成しないことが分かってしまった人々は、神に聞こえぬよう小さく異様な言葉でしゃべり始めたのだ。陰謀論界隈が「ワクチン」を「枠」と言い換えるように、すべてが筒抜けの情報社会ではより小さな共同体の中に閉じこもろうとする言葉が生まれている。だって「ほんとうの共通語」なんてものを使ったら、「ほんとうの(無色透明な正しい)世界」と繋がってしまうから。

しかし、その共同体を突破するほどに広がった言葉は、その用法をすぐさま批判されることになる。一定の温度を超えた水がいっせいに気化するような、まるで相転移のような劇的な変化が起きる。これは「日本語の乱れ」のように、小規模なものがじわじわと広まっていく現象とは違う。ある集団内で正しいとされ外部からは発見されていなかったジャーゴンが、引力を振り切って流れ出したときに突然「ほんとうの意味」によって粛清されるのだ。これはインターネットによってすべての人が繋がり、繋がったがゆえに分断された結果生じた、奇妙な自浄作用である。

裏を返せば、コミュニティを先鋭化させるにはジャーゴンを強制すればよい。例えば地方出身者が都会に出て、方言が通じない経験をしても帰郷したいとは思わない。しかし訛りをバカにされると、帰りたいと思う人も多いだろう。外部では拒絶される言葉を使わせれば、自然に故郷へと帰ってくる。これを悪用する煽動者も生まれている。


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