ブランドと場

ショッピングモールに来る人の中には、お目当ての店やブランドショップを目的に来る人と、家族なりデートなり遊びなりで、「とりあえずそこに行けば楽しめる」という目的で来る人がいると思う。便宜的に前者を「ブランド」目的で来る人、後者を「場」目的で来る人とでも言えばいいだろうか。

百貨店は現在、文字通り「ブランド」の入った箱と化している。しかしかつては家族が遊びに来る「場」で、屋上でヒーローショーをやったりパンダの乗り物があったりしたのはそのためである。しかしそれらは、今やほとんど残っていない。

景気の後退により消費が冷え込み、インバウンド向けの高額なショップが林立する百貨店はコロナ禍で大打撃を受けたが、業績悪化の一端は「場」としての百貨店を軽視したことにもあるのではないかと思う。「こどもの頃遊びに来た楽しい場所」として若者に刷り込まれていた時代は終わり、百貨店の中は代替可能なブランド専門店の派出所になっている。この状況で「大人になったら百貨店でショッピングするんだ♪」と思っている子どもがどれだけいるというのか。

マクドナルドは徹底的に「場」としての教育を、悪く言えば洗脳を子どもたちに行う。休日にハッピーセットを買いに家族で訪れる楽しい場所。田舎育ちの私にとってはそんな場所で、マックにはいまだに心が躍る。特に食べたい特定の商品があるわけでもないのに、ふと行きたくなる。

この「場」と「ブランド」の両輪が存在し、そしてそれらの新陳代謝がうまく行われているとき、その場所やカルチャーは延命される。

お笑いも例外ではない。大阪を例にとればよしもと漫才劇場があり、ここにはお目当ての芸人を見に来る人もいれば、とりあえず漫劇の近くに来たから寄った人とか、暇だから公演スケジュールを見て来た人とかも混在している。わざわざ足を運びたくなる芸人=ブランドが存在し、来れば楽しいイベントがやっている劇場=場としての側面を持っているわけだ。

先日、芸歴によって出演者が決まる『翔』『極』ライブの芸歴システムが一新された。「〇〇が抜けて残念」とか「△△がトップでやっていけるのか?」なんて声をSNSで見たが、これは新たな”劇場の顔”の新陳代謝を促すためのものだ。またよしもとの劇場は「2丁目劇場→BASEよしもと→5upよしもと→よしもと漫才劇場」と物理的な場としての転生も繰り返しており、場の中でブランドを育て、ブランドを使って新劇場などの場を構築するというサイクルを繰り返している。

フェニックスは自ら炎の中に飛び込んで生まれ変わり永遠の命を得ると言われているが、よしもとはこの「場」と「ブランド」という翼を片方ずつ輪廻することで、総体として不死を手に入れている。

我々大阪に住む非よしもと勢の芸人は現在、BAR舞台袖と楽屋Aというライブハウスのお世話になっている。そこで発足した芸人ユニット「WEST ANTS」が先日解体を発表した。時を同じくして先日にぼしいわしさんが東京進出を発表。WEST ANTSもにぼしいわしさんも、間違いなく楽屋Aを象徴する「ブランド」であったと思う。しかし同時に、楽屋Aは「毎日お笑いライブをやっている場所」として定着しつつあることも事実だ。

個人的にはWEST ANTSは続いてほしかった、というか楽屋Aを象徴するイコンとして何かがそこにあるべきだという思いもあった。しかしもう片方の足を次の場所に踏み出すべきなのかもしれないとも思う。そういう楽屋Aのブランドに次は誰がなるのかというと。頑張らねば。

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