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[ライター]横溝先生へのインタビュー

大学の情報誌制作の活動の一環で、札幌市立大学デザイン学部の准教授・横溝賢先生にインタビューをさせていただきました。

取材をした記事は、2021年9月に発行予定の大学の情報誌に掲載されますが、そちらはレイアウトの関係上コンパクトなものになっています。

約1時間半オンラインで取材させていただき、ボリューミィな内容であるのに、そんなの勿体ない!と思った私が勝手に何回かに分けてこちらに書かせていただきます。


横溝先生についてはこちら。
・・・と、経歴の掲載されたサイトを貼ろうと思いましたが、そんな野暮なことはしません。インタビューをすれば、その人の経歴はもちろん、人柄、生き方、生活などが見えてくるものです。

共有すべき内容も盛り沢山ですので、ぜひ最後まで読んでいただければと思います。


ローマの休日

いつもイタリアンジェラートのことを考えている横溝先生。イタリアでは警官もしれっとジェラートを食べながら歩いているそう。



第1章 SCUの教員になるまでの道のり


デザイナーとしてやっていることは何だ?

横溝先生の学生時代は、まだデザインを学べる大学が少なかった。そんな中、工業デザインを学べる千葉工業大学に入学したが、デザインを学ぶ目的で入学した訳ではなかったという。
しかしながら、グラフィックデザイナーを志したきっかけは千葉工業大学にあった。在学中に受けた資生堂のアートディレクター中村誠の講義がそれである。中村誠が教える”ものづくり”についての講義が非常に面白かったのだとか。

卒業後は、デザイナーとしてデザイン事務所や広告代理店に勤めた。しかし、働いているうちに、自身の存在価値、つまり「デザイナーとしてやっていることは何だ?」という問いを持ってしまった。自身の職業を疑問視することは、案外、少ないのではないだろうか。その時、横溝先生は研究者としての一歩を踏み出した。疑問を抱えたまま退職し、イタリアへ赴いたのだ。(イタリアンジェラートとの出会いだ・・・!)


デザインが必要だ!

イタリアには、メンフィスというデザイナー集団がいる。メンフィスは産業とデザインの関係を問い直す姿勢や、素材や形、テクスチャの構成実験をして製品デザインをおこなうという、知的で複雑なプロセスを経てデザイン活動をしている。これらは、ゴールを決めないため予想もし得なかったことと出会える、”本当のものづくり”ではないかと感じたそう。
そうして、メンフィスの”本当のものづくり”が溝にはまったのだとか。

プロセス


帰国後、イタリアと日本のギャップを感じた横溝先生。例えば、日本はプロセスを目に見える形にしていないということ。イタリアで自身がおこなっていたプロセスは、日本ではデザインプロセスというより「研究」として扱われた。
そこで、大学の教員・「研究」者になろうと決意した。

研究とは、学ぶことと実践することがセットである。大学は、先生自身も学びながらデザインの実践を続けられる場所。溝にはまっているのである。

一方で、デザイナーは研究とデザインが一体になるべきだという。美を追求し続け完結させることは、デザイナーというより職人ではないだろうか。そんなクラフトマン的な職人とリサーチャー的なデザイナーは別に存在する。

また、横溝先生は地方に目を向けた。都会には良いものが集まるが、それらはなぜ良いのか知らずのうちにやってくる。地方に根ざした生活や文化、さまざまな存在がいつまでも知られないままである。反対に、地方の人たちは美味しい海鮮物のみを知っていて、不味い海鮮物は知らないように、都会で取り上げられているけど、それの何が面白がられているのか分かっていないことが多い。
横溝先生は地域でフィールドワークをし、発見したことを地域の方々にそれらのデザインをフィードバックすることで、新たな気づきを提供しているのだ。

地域と密接し語ることにより、文化が残っていく。
そのためには、デザインが必要だ!


第2章コロナ禍で一番変化した担当授業の内容と苦労について


対面授業には余白がある

ラジオ形式で行った ビジュアライゼーションⅠ

ミゾラジ



対面授業には余白がある。イタリアの複雑なデザインプロセスのように、教員が予想し得なかった生徒の行為が何にも憚られずにみられる。加えて、新しい表現をみんなで味わうことができる。
今日はここまでの作業にしよう、と考えていたけど生徒が夢中になっていたら、次に持ち越すなど、その場で柔軟に授業プランを変更できていた。これは私たち生徒がのびのびと満足いくまで授業と向き合える秘訣。
しかし、それもできない。

反対に、オンライン授業は生徒の様子を見ようとしても見れない、一方通行なものである。見ようとしてもシャットアウトできる(ミュート)。
もはや、「様子を見ることはできない」と思った方がやりやすい。見よう見ようとしていることが、授業を邪魔しているのだ。

そこで思いついたのが、ラジオ。見えない状況で合意形成をとるのは苦しいから、むしろ"誰か"に向けて伝える。そんなゼロ人称を意識することで、オンライン授業がやりやすくなったのだとか。

オンライン授業をラジオ形式で行うということは、まさに横溝先生の実験的なデザインプロセスの一環といえるだろう。



札幌市立大学情報誌『SCUZINE』についてはこちら。




2021.8

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