髭男爵にはじまり、山田ジャックを経由して、金属バットへとたどりつくまで

ライヴ喫茶亀で行われた、漫才師「ヤング」のトークライブに行ってきた。まだまだコロナ禍による自粛ムードが続き、お笑いライブの開催自体も少ないなかで、腹の底から笑える貴重なイベントだった。

僕がお笑いライブ通いをするようになって、もうずいぶん時間が経つ。

今は関西のライブ(特にインディーズ)にばかり行っているのだけど、お笑いライブにはまりたての頃は東京のライブにしか行ってなかった。
 
ちなみに、僕が人生ではじめて行ったお笑いライブは、新宿のネイキッドロフトで行われていた、髭男爵のトークイベントだ。

ゲストが誰で、どういう内容の話をしていたのかはよく覚えていないのだけれど、これに行くためだけにはじめて夜行バスに乗ってみたこと、長時間脚を動かせないことが思いのほかしんどかったこと、憧れの髭男爵をはじめて生で見ることができて、感動して、緊張して、終始笑いっぱなしだったことだけは、今でも記憶に残っている。

そして髭男爵のライブ通いをする中で、山田ルイ53世のラジオに投稿もはじめた。男爵に名前を覚えてもらって、嬉しくて、出待ちをしたこともある。出待ちからの流れで、男爵と一緒にラジオに出たりもした。放送自体はあまり思い出したくはないのだけれど、とても貴重な体験だった。
 
本当に男爵が好きだったし、お笑いを見に東京へ行くことが生きがいだった。だけど、就職してからはなかなか行けなくなってしまった。 

当時の僕はほかに生きがいがなかったから、なにか大阪にも面白いイベントはないものかと思い、すがるような気持ちでネットの情報を調べてみたら、「なんば紅鶴」や「なんば白鯨」といった、東京で言うところのロフトプラスワンのような店があることを知った。

そこで勇気を出して紅鶴に行き、イベント通いを重ねる中で、山田ジャックという芸人の存在を知った。

山田ジャックというのは大阪で活動する、40代の地下芸人だ。芸歴も長く、関西の地下芸人にとっては大御所的存在だ(そもそも、大半の芸人は長い間売れなかったらやめてしまうので、地下芸人のまま芸歴を重ねるというのは珍しい)。

顔も広く、面白い素人を見つけては、テレビ局に紹介したりもする。トークの腕や、面白い人を見つける才能は確かで、山田ジャック主催のイベントに行って、金を払って損したと思うようなことは、ないと言っていい。若かりし頃の日本クレールや、村橋ステムも出演していた。

この「村橋ステム」というのも大阪で活動する芸人で、さまざまなイベントの主催をしている。年齢はまだ若いのだが、芸歴が長いため顔も広く、さまざまなゲストのブッキングを行っている。

金属バットを知ったのも、村橋ステム主催のイベントがきっかけだ。

当時の村橋ステムは、シーチキン佐野というピン芸人とともに、「ネオ姫殿」というイベントを主催していた。このイベントはネタあり、トークありの内容で、基本的にはピン芸人しかゲストに出ないのだけれど、この時はなぜか日本クレールと金属バットが出ていた。そこで金属バットを知った。

金属バットについては、イベントを見てすぐに好きになったわけではくて、彼らがやっているラジオを聴き、投稿もする中で、徐々にハマっていった。彼らのラジオの公開収録にも足しげく通った。公開収録に行っていた頃は、髭男爵のイベント通いを重ねていた日々が戻ってきたような気がして、とても楽しかったのをよく覚えている。

だけど、今では公開収録も無くなってしまった。金属バットに人気が出たためだ。

せっかく髭男爵のライブ以来の生きがいになるイベントを見つけたのに、ただただショックだった。東京で無くしたものを大阪で見つけて、また無くしてしまったのだ。

だけど、いつかまた、髭男爵や金属バットがやっていたような、生きがいになるイベントが見つかるはずと信じている。

そもそも、髭男爵や金属に関しても、はじめはそれほど面白い印象は持っていなかった。イベント自体にもそこまで期待して行ったわけではなく、面白いかどうかも半信半疑だった。

だけど、結果的には熱狂的にハマった。そしてライブきっかけで、色んな面白い芸人を知った。

僕がお笑いライブに行く理由は、行く前の自分からは想像できないぐらいの面白い体験をして、笑って、救われるためだ。

それは結果的に実現している。あまり期待していないライブにも積極的に通うことで、見たことも聞いたこともなかったような面白い人の存在を知ったし、さまざまな面白い体験ができた。そしてそれは、これからもずっとできるものと確信している。

だから僕は、これからもお笑いライブに通っていく。



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