つれづれなるままに。
自分の子供ができないとわかった日、神様なんていないと思った。
おみくじなんて、信じられない。大吉なんて信じられない。
と思った、そうあった、でも、今年もおみくじを引いた。
大吉だった。
どうぞ、よろしくお願いいたします。今年も。何卒何卒。
子供ができないと分かった日々は、立っていられるのも不思議なくらいだった。仕事をしているのも不思議なくらいだった。
おそらく、自分史上、最大に愛しいものが私の中にやってくるものだと思い込んでいた。結果が分かるまでは、
心が死んでいくのを感じながら、夫と二人、泣きながら。
どうやったら、この苦しみから逃れられるんだろうとのた打ち回った。
のた打ち回っているいまだに。
父が二十歳の時に亡くなった、そこからもう19年くらい経つけれど、まだ、立ち直れていない、なんでうちの父が亡くなる必要があったのだろうといまだに考える瞬間がある、もうどうしようもないんだけれども。
そう、どうしようもないことだらけなのに、どうしようもないことだらけなのに、どうして、どうして、どうして。
どうしようもないことにのた打ち回っている、しんどい、悔しい。
振り切れない。振り切るにはどうしたらいい?
時間が、年数が、経てば、なんて、そんなのまやかしだ。
まやかしのまま、引きずって生きている。ああ、しんどい。
Mなのかなわたし。
あと、夫婦になると喜び、2倍に、悲しみは半分に。
そんなのは、嘘だったなあ。あ、喜びは2倍なんだ、うん。
悲しみはただ、等しく、1
1のまま。夫の苦しみも、私の苦しみも1のまま。
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