社会

大学の先輩が不安感を持って就職していく。これは前回のnoteに書いたこと。それに関連して気になったことを書いていく。

就職するということをよく"社会に出る"と表現する。

社会ってなんだ…

デジタル大辞泉によると

1 人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「社会に奉仕する」「社会参加」「社会生活」「国際社会」「縦社会」
2 人々が生活している、現実の世の中。世間。「社会に重きをなす」「社会に適応する」「社会に出る」
3 ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。「学者の社会」「海外の日本人社会」「上流社会」
4 共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。「ライオンの社会」
5 「社会科」の略。

だそう。そう考えると"社会に出る"というフレーズに??となる人もいるだろう。僕がその1人だ。

僕は"次のステージ"とよく表現する。

学校にいるうち(学生)は社会に出ていないのか。学校も社会でしょ!って思ってしまった笑
でも、なぜそう感じるんだろう。

前者に関しては、これを考える前に前提があって、それは大学で地域教育を学ぶときに思ったこと。そもそも、なんで地域と学校が分断されているのか、と思った。

地域にあるものの一つが学校だという認識だった。銀行や幼稚園、工場と同じで地域にあるものの一つ。なのに地域とともにある学校というフレーズが言われていたりする。これは教育現場にいるからなのか…?笑

うーん…

それだけ学校がシャッターを下ろしていたのか、もしくは学校が閉ざしてる、そういう固定概念を持っているのか。

多分、学校は教育を行なっているところという認識を持っているんじゃないかと思う。地域の担い手というよりは教育のイメージの方を強く感じているように思う。それは地域の人が学校にクレームを入れる等のことから判断した。

でも教育ってみんながやるものだと思う。工場でも、銀行でも教育は行われていて、銀行の使い方から国語や社会などの教科教育全てを教員がやるのはどうも違和感。それも学校の役割!?と思ってしまうことがたくさんある。本来、学校は、生徒が自身の人生で出会う様々な選択肢から自分に合った選択肢を選択できるようにするスキルを身につけるためとか、幸せになる方法を知るきっかけを見つけるというのが学校という場所の役割であると思う。

僕なりの意見だけど、地域のいろんなセクターはそれぞれの分野の教育のプロであって、そこをつなげるのがコーディネーターで、そのセクターによる教育と教科書の内容を結びつける教育コーディネーター的な役割を持ち、加えて子供が成長していく課程で共に悩みながら伴奏していくのが教師だと思ってる。

そう考えると校舎ってなんであるんだろう、なくてもよくね?とか思ってしまったりする笑

ちょっと話が脱線してしまったが、上述したような社会というものの固定概念や、学校・教師の役割の複雑化によって不安が生まれてしまうのではないかと思う。

そうなったときに鍵になるのが、セクターの異なる3人の仲間。

これは1年生の時にSCHに行った時、地域・教育魅力化プラットホームの岩本悠さんが言っていた。

この3人のコミュニティを作ることで、次のステージに進む時に出会うであろう課題を楽しく、孤軍奮闘せずに乗り越えられるんじゃないかと思うし、1つの課題を多角的な視点で考えられるのは大きな武器になる。そんなコミュニティを作りたい。

そんな思いで設立したのが「わ組」です。

https://www.facebook.com/wagumi2019/

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