「感謝」とは何か。〜牛さんと本から学ぶ〜
「感謝の気持ちを忘れずに」
今まで何度言われてきただろう。皆さんも人生で一度は言ったor言われたことのある言葉だと思う。
「”感謝”とは何か」
皆さんは考えたことがあるだろうか。
僕は自然に「感謝=ありがとう(と思うこと)」であると信じて疑いもしなかった。
でも、浦幌町に来て、多くの方に支えていただく中で、感謝とはなんなのか。本当に感謝できているのかわからなくなった。
あれ?確かにありがたいけども、これは本当に感謝なのだろうか?
「感謝の気持ちを忘れずに!」
いや、忘れてはいない。むしろたくさん言われるから意識してしまう。”感謝しなきゃ”と。
これは本質的な感謝なのだろうか?
そんなことを考えながら、”感謝する”ということはどういうことなのか考えていた。
そして今日、たまたま読んでいたこの本に書いてある言葉が僕にヒントをくれた。
「おかげさま」
鳥肌がたった。うぉーーー!!!!!こういうことかぁぁぁぁぁ!!!!
自分がどれだけ感謝できていなかったか、情けなくもなった。
今までは、「ありがとう」を自分の都合がいいとき(いいと判断したとき)に言っていた。つまり捉え方だ。都合が良くないとき(良くないと判断したとき)には「ありがとう」と思っていもいない。
でも捉え方を変えると、それは大変自分勝手なことだ。
牛さんとの関わる中で、牛さんの感情を勝手に人間が推測し判断していることに気づかせていただいた。
以下の写真は、僕が牛さんのスタンチョン(首を固定する器具)に首を通して、牛さんの視線(世界)を撮ってみたものだ。
皆さんはどう思うだろうか?
「毎日同じ景色辛いな」「かわいそう」
僕は最初にこの景色を見た時にそう思った。
しかし、これはあくまで僕(人間)の勝手な推測だ。
牛さんはそんなこと1ミリも思ってないかもしれない。むしろありがたいと思ってるかもしれない。
それを僕ら人間が勝手に判断し、牛さんを思いやった気になる。なんて傲慢なんだと今でも思う。
牛さんの想いを知ることはできない。もしかしたら喜んでるかもしれないし、悲しいのかもしれない。真実はわからないが、人間が勝手に捉えて判断してしまっていた。
これは私たちの普段の生活でもそうだ。その人が発した一言を勝手にひどい!とか、なんでそんな言い方するの?と判断していないだろうか。
本当にその人はそんなことを思っているのか。それはわからない。これもまた、推測なのだ。
でも都合がいい時はそんなことを考えない。都合が悪い時だけ、言い方が悪いと人のせいにして、自分を省みない。そんな経験はないだろうか。
話がずれてしまった。
結局僕(人間)が勝手に推測し判断しているのだ。それも都合がいい時は”ありがとう”と発して感謝した気になる。都合悪く捉えると、”ありがとう”という視点は消え去り、怒りや葛藤に支配される。
これは感謝の本質ではないと思う。
「おかげさま」
これぞ感謝。そう思った。僕は、周りの環境があるから生きることができている。牛さんも、建物も、隣の人も、嫌だと思っていたことも、何もかも。
全てから僕らは学ぶことができて、その学びを活かし幸せに、自由に生きていけているのだ。
苦手な人(苦手と捉えている人)と関わることで、こうなりたくはない、という選択をするし、嫌なお客さんを知るからこそ、店員さんに優しくできるのではないか。
全て「おかげさま」じゃないか。
だからこそ”ありがとう”なのだと思う。
僕は自分中心で生きていた。「生きる」「死ぬ」ということを一丁前に考えて深めた気でいた。でも違った。
周りに生かしてもらっている。周りがいるから、自分がいる。自分ができること全て、得た学び、感情すべて、自分以外の誰か(何か)からいただいている。
23年間生きてきた中で一番大きな学びかもしれない。
心から震えた。
おかげさまで大変貴重なことに気づくことができました。
渡辺和子さん、牛さん、気づきをくださった全てに心からの感謝。
ありがとうございます。
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