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熱力学・統計力学 エントロピーとは

エントロピーは不思議な量である。このことは、エントロピーとは何かと問われることはあっても、似た量であるエネルギーとは何かと問われることはあまりないことからもわかる。エネルギーも抽象的な量で「実在」するものなのかすらよくわからないにもかかわらずである。これは、エネルギーが保存する量であり、ありとあらゆる状況や法則体系で考えられることによるのだろう。よくわからないけど、そういうものがひとつくらいあってもよいという気がしてくる。

エントロピーは、定義できる物理的な状況は限られているし、保存する量でもない。増大するという性質は疑いの余地がないが、そういう性質をもたらす機構はどのようなものかという問いには真正面から答えていない。結果として、エントロピーはよくわからない、となってしまう。

「熱力学・統計力学 熱をめぐる諸相」では、エントロピーの一通りの性質を扱った。そのことをふまえて、以下ではエントロピーを概観する。厳密な議論でもないし、誰にでもわかるようなものでもない。結論も特にない。理解の整理である。

熱力学におけるエントロピー

熱力学におけるエントロピーは、おおまかにいって、次の二つの要請によって規定される。
1. 熱平衡状態について一意的に決まる量
2. 任意の二つの熱平衡状態を比較したとき、エントロピーの小さい方から等しいか大きい方への断熱遷移は原理的に可能だが、大きい方から小さい方への遷移はできない

断熱遷移とは、考えている系と外部とのやりとりが、制御可能な仕事を除いて遮断されている過程を表す。ようするに、熱とは何かという問いに目をつぶると、文字通り熱のやりとりがない過程である。

エントロピーは熱を象徴する量であるのになんで断熱?と思うかもしれないが、二つの断熱系を熱接触させる問題を考えてみるとわかりやすい。下図参照。

「熱力学・統計力学」第5章。外界から断熱されている二つの系を接触させると、熱の移動が生じエントロピーの和は増加する。

二つの系の間に熱の移動が生じるが、生じうる平衡状態はエントロピー増大則によって規定される。片方の系のエントロピーが減少することはありえるが、そのときもう片方のエントロピーは増加するし、全体としても増加するようになっている。

断熱遷移を特徴づける指標であるという要請2がエントロピーの本質であるが、これだけだと具体的にどうやって得るかわからないように思える。エントロピーが物理法則に組み込まれるには、要請1が必要となる。

要請1では、エントロピーは熱平衡状態に対して一意的に決まるとされている。熱平衡状態は、(内部)エネルギーや仕事変数によって一意的に指定されるものである。つまり、エントロピーはそれらを変数としてもつ関数となる。特に、エネルギーの関数であることによって、エントロピーは熱量と関係する量となり、具体的な計算や測定が可能になる。エントロピーはよくわからないただの指標ではないのである。別の言い方をすれば、エントロピー(および熱平衡状態)の性質を適切に捉えることによって、熱力学は完全に規定される。

エントロピーの性質によって、熱的過程に方向性が生じることになる(不可逆性)。AからBへの遷移は可能であるが、逆はできないというように。Carnotによる熱機関の効率の不等式もエントロピーの性質として説明される。等式で表される保存則では方向性を生じさせることができないから、不等式であらわされるエントロピー増大則は他の法則にはないきわめてユニークなものとなる。

エントロピーの提唱者のClausiusは「宇宙のエントロピーは最大に向かう」と述べているし、それ以前から「熱的死」という考え方もKelvinらによって議論されていた。宇宙全体に平衡熱力学の法則を適用してよいものかという疑問はあるが、エントロピーによって記述される新しい自然観のインパクトを物語っている。

統計力学におけるエントロピー

断熱過程によって系が自発的に向かう状態とはどのようなものか?という問いに一歩踏み込むのが統計力学である。統計力学では、実現される熱平衡状態を、想定されるミクロ状態の中でもっとも典型的なものと捉える。断熱過程によって向かう先は典型的な状態ということになる。

典型的な状態とはもっともありふれた状態である。よく言われるように、乱雑さの度合いと言ってもよい。たとえになるが、多数のコインを投げたら表と裏が上になる量がほぼ半々になるだろう。全て表になる確率はほぼゼロに等しい。多数であればあるほどそうなる。全て表というコインのパターンは一つしかないが、半々というパターンはきわめてたくさんある。後者が典型的な状態に対応している。

この考え方に基づいて、統計力学におけるエントロピーは、状態数の対数を用いて表される(Boltzmannの公式)。状態数はエネルギーの関数として表されるから、熱力学のエントロピーと同じ性質をもつようになる。

統計力学のエントロピーは導かれるというよりは、熱力学との整合性によって正当化されるものである。熱力学はミクロな視点を用いないという原則があるから、一般的な規定を設けることしかできない。統計力学ではミクロな視点が入るから、それに応じて具体的な形を定めることができる。

熱力学になかったエントロピーの新しい視点は、「ものはだんだんばらばらになる」、「部屋はちらかる」といったエントロピーの一般的なイメージにつながる。断熱でもないし平衡でもないが、そのイメージはわかりやすく、エントロピーという語が人口に膾炙するようになったのだろう。

だんだんばらばらになるという考え方は、時間が経つと、というニュアンスをもっているが、熱力学や統計力学では時間という概念は一切排除されている。時間発展の規則がどうであろうとも行き着く先は典型的な状態である、というのが統計力学の考え方となる。マクロな平衡状態の系では、エントロピー増大則が運動方程式に代わって時間の向きを特徴づけることになる。

情報論におけるエントロピー

統計力学では確率を扱うが、Boltzmannの公式自体に確率は関係ない。ただ、現在の標準的なアプローチでは、Boltzmannの公式を等重率の原理から得る。その場合、エントロピーは確率分布を用いて表される。

このことは、エントロピーが一般に確率分布が与えられた系で定義できることを示唆している。その際、熱力学で要請された性質は全て捨て去られる。確率分布はマクロな熱平衡状態でなくても定義できるからである。「確率分布が与えられた系」とは、自然にある物理系とは限らなく、確率過程の系であれば何でもよい。

新しく定義されるShannonエントロピーは、系の情報量を特徴づける指標となる。系の状態が不確定になるほど大きい量となる。このことは、乱雑さを表すという統計力学的エントロピーの定義と整合した性質となる。

情報論的エントロピーの新しい視点は熱力学に何か影響を与えるのだろうか。従来の熱力学の体系内で議論を行う限り、それはないだろう。ただ、非平衡系や、情報を熱力学に組み込んだ情報熱力学ではその限りではないと思われる。確率さえ与えられれば簡単に定義できるエントロピーは、新しい概念を理解するための鍵となるかもしれない。

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