ヒロシイズム13
硝子戸をぐっと押して会場を出ると、熱射が真っ青な西の上空から斜めに突き刺さり、籠った熱気がアスファルトに反射して湿気と混じり、火達磨の雪女にのしかかられている様な、酷い暑さだった。って、はあ?火達磨の雪女ってなんやねん。どないやねん。寒いんか暑いんかどっちやねん。それ、丁度良いんと違うんか。溶けて良い温度、ぬるぬるになってるんちゃうか。ど阿呆っ。九州のど田舎もんがっ。と自身に関西弁で突き込みを決めたのは、私は関西に居たからである。兵庫県神崎郡福崎町エルデホール、CAMPへ行こう!ヒロシのソロキャンプトークショー、私は初代偽ヒロシ、ワロシさんと共に訪れていた。妖怪推しの町らしく、会場の外のベンチで全身ブルーで具合の悪そうな雪女が横座りであった。トークショーで神、ヒロシさんは韓国で買った愛用の一人用鉄鍋を、抽選会プレゼント用に供出された。旅館の朝食、固形燃料でスクランブルエッグを作る時に用いられるような、囲炉裏の上に吊るすような、黒い半円形の鉄鍋だ。神は同型の新しい鍋を手に入れたらしく、悩んだ挙句、せっかく来てくれたファンの為、断腸の思いで手放された。その鍋は本当に私も欲しくて、職場に韓国通の同僚がいるのだが、ヒロシさんが使用している鍋の画像を何枚もLINEで送り、韓国に出かけた際に露店等で見かけたら買って来て呉れるよう二年ほど前から頼んでいたのである。ただ、その同僚は体調を崩し韓国には行けてないようだった。それで抽選の結果、私は鍋どころか、何一つ神のプレゼントを手に入れる事は叶わなかった。まあ、人生そんなもんである。前日にビジホでNHK、スポーツ賭博の闇、みたいなタイトルの仏蘭西制作のドキュメンタリー番組を見ていた。その中で元賭博会社の社員が、99%の人間は損をする仕組みである、と明かしていたが、抽選だって当たらない確率の方が高いのである。風呂場でシャンプーとリンスの二択さえ間違える私が数百人規模のイベントで景品を当てる可能性なぞ殆ど無いのだ。同じく何も当たらなかったワロシさんも、鍋だけはどうしても慊りぬ思いであったようで、外で煙草を吸いながらどうにかならぬものかと思索していた。なべやかん。暑い。今から駅に向かえば丁度いい感じっす、行きましょう。誰もいなくなった会場を去る。
右手に黒塗りのタクシーがぬっと出てきて、停車した。後部座席のウインドウが半分くらい下がり、横向きのアイフォーン、三つ目のカメラが私とワロシさんの方向に向けられる。持ち主は、グレーのちょっと暑そうなニット帽を目深に被った、神、ヒロシさんである。2枚ほど写真を撮ると、お疲れさん、タクシーは発車した。
福崎町エルデホールでキャンプトークショーをしてきたよ。帰りの車から「あれ?俺?」と思ったらワロシだった。
その夜、神のインスタグラムが更新され、上記の文章と2枚の写真が掲載された。私とワロシさんが写っている。私はスナフキンのようなつば広帽子を被り、目が灼けないようにレイバンのティアドロップのサングラスを掛けて、ピースサインをしている。ワロシさんは何時もの如く頭にタオル、チェックシャツ、足元のブーツまで完璧コスプレである。40件程のコメント欄を覗くと、ワロシさんだ、ワロシさんワロシさんワロシさんワロシワロシワロシ……、かけうどんさんも、と記載されたコメントは2件のみだった。私は一人か二人くらい、なんでワロシさんの横にジョニーデップがいるんですか?グラサンの超絶イケメソは誰?結婚して下さい、とかコメントがあるかも知れぬ、極上美女から、と血眼になって探したが、そんなコメントは遂に一件も見つからなかったのである。
ローカル列車で姫路へ戻った。前回、神が訪れそばを食したフードコートでファンのお姉様方と談笑に興じていると、私の視線の先、ワロシさんの背中側から、ニット帽を目深に被り、ピンクのTシャーツ、黒地に白い模様のタイパンツ、サンダル姿の男性がリノリウムの床をぺたぺた歩いて近付いて来る。やあ、神のお出ましだ。不思議と私はそんなに驚かない。声出したらちょっと騒ぎになるかも、とよぎる。軽く会釈した積もりだが、神は気付いたのか気付いてないのか、特に反応はなく、ワロシさんの横を通り過ぎる瞬間に、ぺちん、とワロシさんの背中、サイバトロンのザック側面に付けたサーマレストを手で叩いて、そのままぺたぺたぺたぺた、ペンギンのように歩き去って行った。
お姉様方によると、それは幻だったらしい。夏の陽炎。私は心の綺麗なものにしか見えない妖精だった説を唱えたい。
そして、神はきっと、私の事を知らない。