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天才を活かすesports

どうもKS連合です

僕が日本国内におけるesportsの発展を強く望む一つの理由として、世界と同等のレベルで戦える数少ない競技の一つと考えているからです。それは身体能力や、頭脳の差ではなく、育成の差です。

天才は成長してこその天才

みなさんは天才に会ったことはありますか?

競技において圧倒的な強さを見せつけるもの。

心身ともに他者を超越するもの。

他人には見えない未来を見通すもの。

努力では到底なし得ない物を持って生まれる人はいます。ただ、それはあくまでその能力に見合った環境にいた人だけが手に入れられる結果です。

海外のスポーツ、日本のスポーツ

日本、アメリカで部活や少年野球に打ち込んでいた時、互いの違いは明確でした。日本のスポーツ対戦はとにかく役割主義。勝ち筋を見つけ、それのためのルートを作り、残りの枠で弱点を埋める。カードゲームで良くありそうな構築です。それに比べて、アメリカはいい意味でも悪い意味でも詰め合わせ。とりあえず個性の尖ったプレイヤーを一列に並べて、それぞれの強みを伸ばすことに集中します。

この差は勝率に直結します。日本のやり方は小学生、中学生の時は圧倒的な強さを発揮します。幼少期から育まれる統率とチームワークには目を見張るものがありますし、そんなシステマティックに動くチームは世界で少ないでしょう。ただ高校生くらいになり、本当にスポーツが好きな人のみ残った時、今までの『強みを伸ばす』練習が海外で本物の天才を産みます。その本物の天才が、世界のトップとして活躍しているのが今のスポーツ界隈です。

人から教わるには限界がある

いくらいい教師が生徒に教えたとて、知識の継承には限りがあり、それがスポーツのように自主性や柔軟性が重視されるものならなおさらです。そのことを踏まえると、日本の役割分担によるチーム力はチームとしては強くできますが、個々としての能力は蔑ろにされ、自分の役割以外の強みを潰されてしまいます。

それに比べ、今のesportsは第一世代。教える側がほとんどいないので、最終的には強い選手は、自分の工夫と努力で好きなように強くなれます。幼少期からの役割を意識しすぎたトレーニングや、必要以上の協調性を求められることもない。競技というよりは、娯楽から入るので、だれかにプレイを矯正されることもない。esportsはかなり素の才能で勝負できる競技なのです。

まとめ

海外でスポーツに打ち込んだ身として、今のesportsはとてもそれに近しいものを感じます。結局スポーツとはチームのためではなく、自分のために戦うのが始まりで、チームワークは勝ちに行くときに身につけるもの。このスキルを高めやすいesportsの環境は、世界でも通用する日本人プレイヤーを生み出すのにとても適しているのではないでしょうか。

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