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繋がれた”襷”

高校時代の私は、陸上も勉強も”中途半端”なレベルであると感じていた。
県内ではそこそこ戦えるが、全国で張り合うほどではない。学内で上位ではあるが、トップを取れるほどではない。

100mと200mで中学記録を持つ選手が部活の同期にいた。東大にトップクラスで合格するような人がクラスメイトがいた。
真のトップレベルを身近に感じられた分、いかに自分が中途半端であるかを痛感していた。

今振り返ると、高校時代に真のトップレベルを知っておけたことで、自分なりに戦略を考えられたのは良かったと思っている。


そんな時、箱根駅伝に「関東学連選抜」というものがあるのを知った。

箱根駅伝本戦に出場する大学以外の選手からなる、いわゆる”寄せ集めチーム”である。
つまり、走力さえあれば、関東の大学にいる限り箱根駅伝に出場する道は開かれる。

日本最難関である東大も、毎年3000人が合格している。上位を取るのは難しいにせよ、合格するなら陸上でインターハイに出るのと同じくらいなんじゃないかと思った。

東大に合格して、関東学連選抜として箱根駅伝を走ってやろうという野望を密かに立てた。公言できる実力からは程遠かったので、野望に留めておいた。自分という人間が最大限努力して目指せる唯一無二の解であると確信した。


そんな矢先である。

関東学連選抜が廃止されるかもしれないという情報が流れた。当時高校生の自分でも他人事では済まされないニュースだった。

東大で箱根駅伝に出られるチャンスがあるかないかは死活問題だ。関東学連選抜が廃止された瞬間、自分の野望は挑戦を前に潰えるに等しくなる。状況をただ見守ることしかできないのが悔しかった。

関東学連選抜存続について逐一書かれたこのブログもチェックしていた。自分にとって都合のよい情報のみを探して、心を落ち着かせていた。


高校3年生のインターハイシーズンの頃である。

関東学連選抜は「関東学生連合」に名前を変えて存続することが決定した。

その時の新聞記事

すでに退路を断ち「東大で箱根駅伝」だけを見て準備を進めている矢先の出来事だった。

インターネットの向こう側で行われていることは知り得なかったが、とにかく安心した。あとは、東大に合格して箱根駅伝を走れるだけの力を手に入れるだけだった。


1年の浪人期間を経て東大に合格した。

そこで初めて知ったことは、関東学連選抜存続に向けた活動の中心となっていたのは、すでに卒業された東大の先輩方であるということだった。

存続が決まったところで卒業してしまうのだから、自分たちが当事者になることはない。それでも、「今後も東大のような非強化校からでも箱根駅伝を目指せるように」という想いで活動していたと聞いた。

お互いがお互いのことを全く知らない中で、ひとつの目指すべき場所に向かって歩みを進めていたのだ。

胸が熱くなった。

箱根への”襷”を受け継いだのだ。


自身の意気込みと周囲の期待とは裏腹に、“箱根への道”は紆余曲折ばかりだった。あと一歩で出走を逃したり、インフルエンザで直前に欠場せざるを得なかったり、色々あった。

最終学年でようやく、関東学生連合として箱根駅伝の1区を走ることができた。

箱根駅伝は現実感を帯びすぎていて、高校時代に想像していた憧れとはベツモノだった。良い走りができたわけでもなく、”普通に悔しいレース”で終わってしまった。

それでも、受け継いだ”襷”を箱根まで届けたことで、一続きの野望を完結させることができた。そして、私は新たな野望へと歩みを進めている。

私が今後できることは、かつての自分のような学生が箱根駅伝にチャレンジできるよう、関東学生連合を多くの人に知ってもらうこと。
そして、関東学生連合出身の選手として、これから結果を残していくことだと思う。


箱根駅伝を走ってもう1年が経つ。

今年も、関東学生連合に母校の後輩が選出された。

襷は、次に繋がれている。

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