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ごまかしがきかないもの

最近、文章を書くことの魅力に気づいてきた。

文章を書くというのは、あくまで何かを伝えるための手段である。何かを伝える手段としては、話したり、instagramのように写真で表現したりという方法もある。

それらと比べた時、書くことの特徴は、ごまかしがきかないところだと思う。

例えば、伝えたいことが100あるとする。100には内容そのものの他に、書き手のニュアンスや心情といったものも含まれる。

会話であれば言葉は100のうち70を担えばなんとかなる。残りの30は抑揚や身振り手振りなどのテクニックで補うことができる。言い換えれば、言葉で不十分なところがあっても他のテクニックでごまかすことができる。(決して悪い意味ではない)。

しかし書くとなると、言葉のみで100を伝え切らなくてはいけない。他に頼れるものはない。そういう意味で、ごまかしがきかないものだと思う。

言葉のみで70以上のことを伝えるのは難しいことだ。70以上を目指すには、文章構成や、ひとつひとつの言葉の解像度に相当気を配る必要があるだろう。その労力を考えれば、非言語的なものに頼った方が100に近づけること自体は容易だろう。

しかし、非言語的なものに頼らず、ごまかしのきかない中で100を伝え切っているような文章を読むと凄みを感じる。なんとなくだけど、同じ100だとしたら、言葉のみの100の方が心を動かされて後まで残る気がする。

今まで私が書いているような文章はとても100を伝え切れていないが、いつかはそういう文章が書けたら面白いだろうなあと思っている。

ごまかしがきかない、といえば、陸上の長距離種目もまさにそうだ。技術や経験も「走れる身体」があって初めて役立つもので、身体自体のごまかしは絶対にきかない。体型のような目に見えるところだけでなく、心肺機能や血液状態といった目に見えないところも。
どんなに真剣に取り組んでも、少し気を抜けばゼロに戻ってしまうという非情な競技だ。

つまらないという見方もあるが、私はそこに魅力を感じて15年以上続けてきた。ごまかしがきかないものに惹かれる性分なのかもしれない。

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