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3. ぼくが宇宙を目指す理由

2014年10月。

何度でも繰り返すが、ぼくは宇宙開発に興味はない。
秋葉原でパーツを買えば人工衛星を作れて、いくばくかのお金があれば自分たちが作ったものを宇宙に飛ばすことができる。その筋の人たちからすると、それはとてもすごいことらしいが、興味のない人間からすると「ふーん」としか思わない。

もし「ただ人工衛星を作って宇宙に飛ばす」だけだとしたら、ぼくはこのプロジェクトに参加しなかっただろう。でも、結果的にぼくは好きでもない宇宙開発に手を貸すことになった。なぜかというと、自分たちで人工衛星を作って宇宙に飛ばすことの「先」に未来があると感じたからだ。

人は誰しも一度は宇宙に憧れる。その中には、実際に宇宙に行こう、宇宙開発への道を踏み出そうと思う人がいる。でも、それを外に表明したとたん、彼らは必ずと言っていいほどこの言葉を投げかけられる。

「そんなことできるわけがない」

これは宇宙を目指す人に限らない。スポーツ選手でも、俳優でも、例えば事業を興すでも。趣味の範囲だったらまだいい。しかし、それを仕事にするだとか、新しいことや到達するのが難しいことだとしたら、踏み出すことですら非難の対象となる。どうしてだかリスクを取ろうとすることは世間的には悪なのだ。

そんな社会が、ぼくにはとっては生きづらくて仕方がない。なぜかというと、ぼくは新しいものや未知なことが大好きだからだ。もちろん、痛かったり死んじゃったりすることはゴメンだけれど、知らないことを知ったり、これまでなかったものを現実化・具現化することに興味がある。なので、「こういうものができたら面白いよね」というアイデアや「これこれをやってみたい!」という意思を「そんなことできるわけがない」「意味がない」と否定されることは、ぼくにとって趣味を全否定されることに等しい。これはとてつもなくしんどい。

もちろん、応援してくれたり、面白がったりしてくれれば、それはとてもうれしい。けれど、絶対にそうしろと言っているわけではない。「ふーん」で済ませてもらえれば問題はないのだ、放っておいてもらえれば勝手にやるから。けれど、初手から蛇蝎のごとく否定されるのは、どうにかなるまいか。

いいじゃん、ちょっと新しいこととか難しいことやるくらい。やって駄目だと思ったら辞めればいいし、実はあんまり面白くなかったと気づくかもしれないし、やったら別の道が開けるかもしれない。でもそれは実際にやってみなければわからない。

だから、ぼくは挑戦を否定されることのない新しい世界が作りたい。「世界」と言っても大げさなものではない。ぼくの目の届く範囲で構わない。これはぼく個人の願望であり、偉いわけでも何でもない。でもぼくにとっては生きていくうえでの至上命題ともいえるもので、「素人たちの宇宙開発プロジェクト」はそれを解決する糸口になると思った。

世の中の人の大半は、「宇宙開発はとても難しいことだ」と思っている。しかし、実際には秋葉原でパーツを買って組み合わせれば作ることができる。ということは、実行すればできることということだ。にもかかわらず2014年当時、ぼくらが知っている限りではあるが大学とか企業以外の民間、つまりは「趣味の団体」が人工衛星を宇宙に飛ばした実績はなかった(あくまでもたぶん)。だから当時ぼくは「やればできる、しかもできたら趣味で人工衛星を打ち上げた初の団体になれる!」と思った。

一番になることが目的ではない。「宇宙開発に関しては素人のサラリーマンが趣味で集まって人工衛星作って宇宙へ送っちゃいました」。これを実現するができれば「宇宙開発は難しい」という常識をぶち壊すことができる、と思ったのだ。素人のどこにでもいるサラリーマンなのにやったらできちゃった、なんてことになったら「宇宙開発は難しい」ものではなくなる。さらに、「サラリーマンでもやればできるじゃん」という意識が立つ。まさに一石二鳥。効率的である。

さらに大事なことは「みんなでやらなくてはいけない」ということだった。幸いぼくらは5人しかおらず、素人なので、技術もろもろを内輪で賄うことができない。衛星の開発にはいろいろな人に力を借りなくてはいけないので、システムがわかる人、電源の専門家、通信機に詳しい人、さらにはお金集めるのが得意な人、人を集めることができる人。いろいろな人が必要だ。宇宙開発に関係ない人も巻き込むことが目標の達成には必須だった。

これもぼくにとって一石二鳥だ。趣味の集まりというのは大概それが好きな人が集まって内輪化しがちだ。宇宙開発に興味のないぼくにとって宇宙オタクの集まりを作ることは目的でも何でもない。ぼくは宇宙開発がしたいのではなく、新しい世界が造りたいのだ。世界にはいろいろな人が必要だから実際に集めなくてはいけなくて、そして多くの人を集めればぼくらだけでは出てこない発想や、ぼくらだけではたどり着けない場所にたどり着ける。そう感じた。

ついでに、ぼくは誰かを巻き込んで何かをするのがとても苦手だ。何か新しいことをする場合、ぼくはまず一人でできることをやってしまう傾向があって、それでどうにも行き詰まるか、ある程度できて満足してしまいがちだ。でも、集まった5人の中には誰かを巻き込むのが得意な奴がいる。それをどうやっていくのか、目の前で見ることができる、と思ったのもある。

そしてもろもろがうまくいって、「宇宙開発の素人サラリーマンが趣味で集まって人工衛星作って宇宙へ送っちゃいました」を成しえたら、もっと世界が面白くなると考えた。

みなさんは、ロジャー・バニスターという陸上選手をご存じだろうか。1954年、1マイル 4分の壁をぶち破った選手である。彼がそれをなしとげるまでは「人類は1マイルを4分以内に走りきることはできない」というのが陸上界の常識だった。ところが、ロジャー・バニスターが1マイル 4分の壁を破った後、一年間で23人もの選手が1マイル 4分の壁を破る記録を次々たたき出したのだ。

「宇宙開発は難しい」というのは、たぶんただの思い込みだ。だって、秋葉原でパーツ買って組み合わせればできるのだから。ぼくらが人工衛星を宇宙に飛ばして世間の常識をぶち壊すのは始まりにすぎない。それをすれば、ほかの人たちは「え、俺にもできるかも」「あいつらができるなら私たちにもできる!」と、ぼくらの挑戦に続く人たちがきっと現れるに違いない。そうすれば、少しずつではあるけれど「誰もが気軽に挑戦できる世界」が生まれるのではないだろうか。どうしてか、ぼくにはそれが夢物語ではなく、手の届く現実だと思えた。

まさか、自分の人生で宇宙を目指す日が来るとは思ってみなかったし、それをしたいとも思っていなかった。けれど、ぼくは新しい世界を造るために、宇宙バカと一緒に宇宙を目指すことにしたのだ。


PHOTO BY NASA

皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。