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4. 拒否権はありません

2014年11月中旬。

「Makar Faire Tokyoに申し込みましたから」

ある日、H氏が「明日のご飯はカレーですから」みたいな、口調で唐突にそんなこと言った。口調はごくごく普通だった。だがその言葉が意味する内容は全く持って異常だった。

は? である。
何を言っているんだこの人は、と。
少なくとも、その時のぼくはそう思った。それしか思わなかった。たぶん、ほかの3人も(H氏以外の人)も同じだったに違いない。

9月に初めて5人で顔を合わせた後、ぼくらは仕事終わりに定期的に会って話をするようになった。今となってはいったい何を話していたのかよく覚えていないけれど、はじめは居酒屋で呑みながらだったのが、酒が入ると事が進まないので3回目だか4回目くらいからは喫茶店に変わったのは覚えている。宇宙開発のすそ野を広げるにはどうするか、どうしてそこまで宇宙にこだわるのか、今宇宙開発分野ではこんなことがトレンドだ、とかそんなこと話をしていたような気がする。

その中で、10cm四方の小型人工衛星キューブサットなら大学でも作っていて、海外にはキットもあって、普通の人でも作れるらしいよ、というのは早い段階から話としては上がっていたと思う。でもそれを作ろうということにはなっていなかった。そもそも当初5人で集まったのは、「宇宙好きと一般人を議論させて、相互理解を高め、宇宙開発のすそ野を広げること」が目的だったはずだ。

ところが、である。ある日、夜な夜ないつものように5人で集まったところ、H氏が「11月下旬にMAKE FAIRE・TOKYOってイベントがあるんですけど、私たちのグループも申し込みしといたので、よろしくお願いします」とぶっこんできた。
「申し込もうと思うんですけど」という提案ではない。すでに申し込みが完了した旨の報告だ。

このときのことは数年経った今でもありありと思い出すことができる。
もともとH氏は他の民間宇宙開発関連団体の副理事を務めていて、その団体でイベントに出展する際についでだからぼくらも、ということだったらしい。
しかし、先にも書いた通り、その時ぼくらが具体的に何をやるかなんて全然決まってなかった。

なのに、なのに。

そんなグループでいきなりイベントに出展ってどういうこと? 何を出すの? しかも、イベントまであと2週間くらいしかないですよね。と、青天の霹靂とはまさにこのこと状態。「出すものないですよ」と言ってもH氏は「もう申し込んじゃいましたから」と、出展しないという選択肢がそもそも存在しないらしく、なんかもう理不尽というか問答無用で、ぼくらは突然MAKE FAIRE・TOKYO 2014に出展することになった。いや、出展しなくてはならなくなった。

まあ確かに、その時は5人しかいなかったけど、ほかにも手伝ってくれる人やぼくらと同じようにかかわってくれる人が必要だったし、当時は企業ではない趣味で実際に宇宙開発を実現している団体はなかったから、だったら自分たちで宇宙開発をやろう、その旗揚げの機会にしましょうと舵を切ることにした。

ではさしあたり、具体的に何を目指そうか、というところから。
(今振り返っても、そこから決めるのかよ、と思う)

当初から出ていたキューブサット、これを本当に作ろう、と。大学生でもできるんだから、大人の我々にもできるでしょ、と。「人工衛星を作って宇宙に飛ばす」ということを確固としたのはこの時だったようにぼくは思っている。
しかも、2年間以内に、という期限付き。どうしてかというと、短すぎてもできないし、かといって長すぎるとダレるし、なんというか、それくらいが適切なんじゃね? ということから。

次に、名前だ。みんなで案を出し合ったが、H氏が出した「リーマンサット・プロジェクト(仮)」が満場一致で採用となった。
サラリーマンが人工衛星を作ろうとしているから、サラリーマンの略・リーマン+サテライト(SAT)のプロジェクト。ちなみにこのわかりやすくかつちょっとふざけた感じのするキャッチ―なプロジェクト名は、当初ほかにもっといい案が出た場合のため末尾に(仮)をつけていたけれど、その後そのまま定着してしまった。さらにちなみに、「2009年に倒産してとんでもないことになった某アメリカ大企業を想起させまいか」という意見もあったが、「サラリーマン」という言葉はぼくらにとって核となるものだし、なじみやすいし、リスクを補って余りあるということになり、後々自虐ネタちっくにも使ったりした。

さらに、展示会といったらポスターでしょ。NASAのHPに行けばフリーの宇宙画像がわんさかあるから、それを使えばそれらしいものができるはずというはなしになり、広告関連企業勤めのS氏がネットで調べたところ、今から発注すればギリギリ間に合らしく、さらにデザインに関しては、突貫だけどそれらしいものを作ります、買って出てくれた。すごい。ノリでサラリーマンが集まればなんかできるとか言ってけど嘘じゃなかった。

そんなこんなで、いきなり出展することになり、いきなり活動内容と名称が決まり、リーマンサットというプロジェクトのお披露目と、メンバー募集を兼ねて、とりあえず展示会に臨むことになった。何か新しい一歩を踏み出すのは、なんかいろいろ葛藤とか躊躇してしまうところだが、ぼくらの場合は考える間もなく後ろから無理くり背中を押され、前に進まざるを得なくなったことが始まりだった。

思い返せば、あの時誰もH氏の提案(強行?)を拒否しなかったのが不思議でならない。もしかしたらこんなことは些細なことなのかもしれない。けれど、少なくともぼくはこの出来事がプロジェクトの源流で、これからの有様を象徴しているように思える。突然波に呑まれて、流されながら考えて、泳いで。今のリーマンサットもそれは変わらないだろう。

このときの選択がよかったのかどうかはわからない。もっとよく計画を練って、準備をしたとしたら、プロジェクトの道のりが変わっていたのかもしれない。でも、もしぼくが2014年の11月にタイムスリップして、5人に会って意見を求められたとしても、「まあ、やってみればいいんじゃない?」と言う気がする。


PHOTO BY NASA.

皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。