1. サラリーマン集う

2014年9月。

趣味で宇宙開発をする、などと今聞いてもトチ狂った団体を立ち上げることとなる5人が一番初めに顔を合わせたのは、確か秋葉原の居酒屋だった。宇宙好きが3人、一般人(宇宙に特別な思いを持っているわけではない人)が2人。いわずもがな、ぼくは後者だ。

前者3人の一人で、ぼくの知人であるO氏が大の宇宙好きで、彼が宇宙に関する何かをやろうとしている、ということは聞いていた。彼を含めた宇宙好きのサラリーマン3人が夜な夜な新橋のガード下で焼き鳥を食いながら何やら議論をしていたことも聞いていた。

IT関連営業職のO氏、システムエンジニアのM氏、教育とかマーケティングかなんかをやっているH氏(ぼくは未だに彼が何をやっているのかよくわからない)の3人がその時どんな話をしていたのかは知らないのだけれど、始めは単純に宇宙に関する熱い思いを交換する会だったと聞いている。それが自分たちで何かできないか、なんなら俺たちでやっちまおうぜ、という形に変わっていき、じゃあ一般人も巻き込もう、という話になったそうだ。

大して宇宙に興味もないのに巻き込まれてしまったぼくとしては、なんだよそれ、という感じではあるが、一番初めに5人で集まったときは一般人から宇宙好きに向けて「なんで宇宙開発なんかやろうとしてんの?」という問いかけに終始していたような記憶がある。

宇宙に憧れがあるのは、まあわかる。ぼくも高校の頃までは、宇宙の成り立ちや宇宙開発に関する本を読んだり、映画を観たりしたときのカッコよさから「いつか宇宙に関わりたい、あわよくば宇宙に行きたい!」と思ったものだが、この地球よりもはるかに大きな宇宙空間はあまりに遠すぎ、難しすぎ、さらには人生において宇宙にかまけている暇などないことを思い知ったぼくにとって、宇宙はいつしか遠いものとなり、さらには気にも留めないものなってしまった。多くの人がそんな具合なのだろうと思う。

にもかかわらず、である。宇宙好きの人たちというのは学生のころ、いやもっと子供のころからとか数年、数十年とその憧れを持ち続けているのだ。驚愕である。

そもそも、宇宙どころか、ぼくらが今まさに立っているこの地球にはまだまだ分からないことがあふれている。人が踏み入れたことがないという意味では、例えば深海なんかはまだまだ未知の場所だし、ジャングルの奥地にだって人類が出会ったこともない生物がたくさんいることだろう。

というか、未知の領域に関わるとかそんなことより、この地球上にはたくさんの問題がある。世界規模の環境変動で災害が激化しているし、依然として戦争はなくならず、貧困や食糧不足は大きな課題だ。

ぼくらが住む日本においても向き合わなければならないことが山積みである。少子高齢化問題、資源のない島国が他国とどう関係していくか、労働改革、介護や保育の問題などなど。考えただけでそれはもう頭が痛くなるようなことばかりだ。

銀河系を気軽に駆け回れる、とまではいかなくとも、惑星間航行ができるようになるとか、ほかの惑星をテラフォーミングして移住できるようになる、とかなら大きな社会変革になるかもしれない。しかしながら、趣味で人工衛星を作ったりロケット開発をしたとしても、世界が平和にはならないし、いやな上司はいなくならないし、家族の機嫌がよくなることも決してない。むしろ家のことほっぽり出して仕事終わりや休日を宇宙開発につぎ込むなどしたら家族から怒られたり関係性にひびが入ってしまうなどのリスクがある(現にそうなった例をのちにたくさん知ることになる)。

そんなもろもろの理由から、趣味で宇宙開発なんかするよりほかにやることあるでしょ、というのがぼく個人の意見ではある。だがしかし、宇宙好きの情熱はそんなことで吹き消えたりはしないらしい。

この地球や世界や家族なんかにいろいろと課題があるのは理解しているが、いつか宇宙に行って、地球を見下ろしながらルイ・アームストロングの「What’s a wonderful world」を聞いて酒を呑むのだ、と彼らはいう。熱意を込めて。

確かに、宇宙は神秘的で魅力的ではある。しかし、宇宙に行くにはとんでもない労力とお金と時間がかかる。さらに宇宙に出れば、宇宙線にさらされ、酸素もなく、壮絶な気温差が待っている。生物の感覚としてわざわざ生きていけない環境に出向きたいと思うのは常軌を逸しているとしか言いようがない。ていうか、ぼくらはこの地球の人間社会で生きていくために仕事をしたり、お金をためたり、誰かのご機嫌を取ったり、夜ご飯に何を食べようかなどなどを考えなくてはいけないし、そっちのほうがよっぽど重要だ。彼らが宇宙への思いを熱く語るのを聞いても、ふーん、くらいにしか思っていなかったし、それは今でも変わっていない。

だが、当時あれよあれよというままに宇宙開発に足を踏み入れてしまったのはいったいどうしてだったのだろう。

一つは、彼らの情熱にほだされた、というのはある。当時、ぼくは仕事の傍らでやっていた文章のことを本業にしたいと勢い勇んで会社を辞めたものの、有り余る時間をつぎ込んで書きたいことなどないことに自分に気づいてしまい悶々としていた。だからずっと何か一つのことに情熱を持ち続けることができているのが羨ましいと感じていて、どうせやりたいこともないのだから夢がある人の手助けでもしようか、と思っていた。

そしてもう一つ。ぼくが宇宙開発に関わったのは、何よりも彼らの話に未来を感じたから、というのが一番大きな理由だった。

皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。