幸せを感じる時

 人が幸せを感じる時はどんな時か、そんな話はどこでも誰でもしてきたと思う。
その一つの答えとして矢野和男さんの『データの見えざる手』にある「非日常を感じた時」というものがある。
 旅行がいい例ですが、いつもと違う道で帰るとかでもいいとのこと。私はなるほどなと感銘を受け、そのことを知ってからは色んな人に我が物顔で話していた。

 私は物心ついた時から花粉症である。時期出ない時は鼻が通っていることに幸せなど感じない。それが日常だからだ。
 だがしかし花粉症の時期にそれがひっくり返り鼻が通っていないことが日常になる。耳鼻科で処方された薬や点鼻薬を駆使してようやく鼻が通る。その時はやはり小さな幸せを感じていたように思う。

 私は仕事で訪問介護員をしている。高齢の、なんらかの介助が必要となっている方々の自宅にお邪魔して生活の支援を行う仕事だ。
 利用者の立場になって考えると、これまで普通に自分一人で生きてきたのがある日病気や事故で日常がひっくり返ってしまう。これまで当たり前にできていた買い物や排泄や入浴が、一人では満足に行えなくなってしまう。
 その日常を支援する仕事だと認識すると、訪問介護員とは幸せを届ける仕事になるのではないかと考えた。
もちろん日常に突如やってきた鼻水のように非日常がなんでも幸せを与えるとは限らない。やりようによってはさらなる苦痛を与えかねないのはその通りで、日々向上心を持って利用者のことを知り考え対策して訪問するのは大前提。
 それでもひっくり返った日常を取り戻すこの仕事が幸せを運ぶ仕事なのではないかと考えられたことは、私に取ってかなりのアドバンテージになりそうだと思わざるを得ない。これからの仕事への臨み方も変わってきそうだ。

引き続き幸せを届けられるよう精進したい。

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