幸せの定義

最近、特に自分が幸せと感じることが多い。

仕事ができるわけでもない中でしっかりお給料をもらえていること
仲間からどう思われているかは知りたくないが、とりあえず利用者様からは感謝してもらえていること
家族が元気に過ごせていること
夫婦で仲良く話し合いができていること
親とのコミュニケーションがとれ、兄弟も仲良くできていること

社会の良し悪しは直接の幸せには繋がらないが、災害の渦中になくとりあえず暮らせていることには感謝しなくてはならない

ではなぜ幸せと思えるのか、何をもってして幸せを作り出しているのか、を考えてみた

自己制限

ではないか、という考えに行きついた。

実際に行える事柄レベルが10だとして、現実は抑えてレベル5程度の事柄で済ませておく。
いつでも10に上げられる余裕と必要があれば上げていい許可をもってして、その状態を幸せと呼べるのではないか、と。

レベル10の人が常に10を維持するとマンネリが生まれ20を目指したくなる。例え20に上げられても自己制限ができないと次は30を目指したくなるのでいつまで経っても落ち着いて幸せを味わうことができない
この状態が幸せなんだ、というアクティブな人もいるだろうがそもそも安定は約束されたものではない。50のレベルで安定したい人は100まで頑張らなくてはいけないということなのだと思う

自分がどれだけのレベルを目指しているのかを確認する行為とそれに見合う努力と、自己制限する気概をもつということが幸せということなのではないでしょうか
自己制限は辛いことかもしれないが、辛いことにフタをしてみてください

それが幸せということなのかもしれません

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