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スマホ依存はなぜ辞められないのか

人間は本能の壊れた動物である

 言語を持ったことで私たちの本能は文化に溶け出してしまいました。そして私たちの本能は壊れてしまいました。私たちの身体に、文明に預けられない(抽象化できない)消化などの機能を残し、それらに付随するはずの、私たちが今感覚と呼んでいるものは全てアプリケーション化され文化というクラウドに移されたのです。

 ヒト以外の動物は自ら命を断とうとすることはありません。しかし、ヒトは違います。自殺ができたり、天皇陛下のために命を捧げたりすることができてしまいます。一見、ヒトの生存本能は失われてしまったかのように見えますが、それは違います。例外なく生存本能も文化に吸収されました。ゆえに、ヒトは個体の生存を守るのではなく、文化の生存を守るように振る舞うというわけです。

 私たちは文化と接続されて初めてヒトになります。圏外のスマートフォンがスマートフォンとしては不完全なように、文化に接続されていない私たちは不完全な生き物です。私たちは孤独を避けようとしますが、それは文化との接続が途切れることを拒むためです。自分以外の人類が滅亡して文化に接続するのが不可能になってしまったら、私たちはすぐに死んでしまうことでしょう。

人間は自我の壊れた動物である

 インターネットの誕生によって情報は民主化され、社会・経済は大きな変革を遂げました。これをIT革命といいます。IT革命によって私たちの暮らしは数十年前とは比べ物にならないくらい便利になりました。しかし、IT革命は社会だけでなく、私たちの在り方も大きく変えてしまいました。私たちの自我はインターネットに溶け出してしまったのです。

 私たちは日々、今日あったことや感じたことをSNSに投稿します。欲しいと思ったものをAmazonで検索し、購入します。好きな人との駆け引きもラインで楽しみますし、その駆け引きの仕方そのものを検索したりもします。これはあなた自身が、正確にはあなたの自我がインターネットに溶け出してしまっていることを意味します。あなたが友達と遊んだ記録はあなたの行動ですし、あなたの検索履歴はあなたが欲しいと思ったり、どうすればいいのだろうと思ったことの現れですし、好きな人ととのラインはあなたが恋をし、ドキドキしたことの証拠です。それらは、完全にイコールではないですが、あなた自身であることに変わりはありません。スマホを他人に見られるのは嫌ですが、それは自分の心の中を覗かれてるのと同義だからです。

スマホ依存は辞められない

 私たち(特にデジタル・ネイティヴ世代)がインターネットを手放すことは不可能です。インターネットを手放すということは、自分の自我を切り離すことだからです。インターネットが無かった時代を生きていた人たちは、私たちをインターネット中毒だと批判します。しかし、それが旧世代のパラダイムであることはもうお分かりでしょう。

参考文献
岡田斗司夫(2013). 人生の法則「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人


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