見出し画像

もしものときの話

私の身に突然なにかあったときの話。
成人したときからこの意志に変わりがないので身内には繰り返し伝えているのだけど、臓器提供はオールOKです。
年齢を重ねるごとに身体も劣化して機能低下しているので、需要があるかは定かではないですが、それでももし生きて使えるところがあればぜひぜひ活用してください。
「本人が生前から強く希望していました」って皆さんで口を揃えて言ってもらって大丈夫です。

このたび転職して、新しい保険証になって、改めて記入欄に書きました。
運転免許証は証人ふくめて意思表示の記載済み。

で、この手の話って身近な人みんな「はいはい」って感じの反応だったので、そんなに深刻に考えていなかったんです。
もちろん、拒否も本人の意思表示なのでどっちが良いとか偉いとかって話では全然なくて、あくまで「私個人としてはどーぞどーぞぜひぜひの意思表示」の話。

今日外でたまたまそんな話題が出たから、私は提供OKだよっていつもの感じで軽く意思表示してみたところ、同席した知人がなんか様子おかしくて。
「そんな、対面したときに一部がもういないなんて。。」
とショック受け始めてしまって。
そういう感覚もあることは予測できていたけど目の当たりにするとこの感情もとても重くて深くて無視できない。
私もあまりに無神経が過ぎたので今も反省しきりなので今日このnoteを書いています。
本人の意思表示カードがあっても家族が反対して叶わなかったという例を耳にしたことはあったけど、抵抗を感じる人の感情もまた意思表示の一つだなぁと、自分の浅はかさの反省とともに感じたのです。

10代の頃に母方の祖父が亡くなって、葬儀のとき棺の中で薄目を開いていて少し気味悪かったのが、「角膜を提供したから義眼なんだよ」と親戚から聞かされた記憶が残っています。
そうか、どうせこのあと荼毘に付されるからジャストフィットってわけでもないんだな、って、割とこういうものなんだなって印象を持って受け入れたのも抵抗感のなさに繋がっているのかもしれません。

「鮮度が大事だから、反対しないでね」と、これも冗談めかしてよく言うセリフだけど、なんかそんな雰囲気じゃなくてやめておきました。
「いくら飲んでも数値異常が一切起きたことがない、鋼の肝臓はいかがでしょうか」は言っちゃったかも(笑)。

余談だけどタイトル画像にみんフォトで「臓器提供」で検索したら何もヒットしなかったことを書き添えておきます。

スキやシェア、コメントはとても励みになります。ありがとうございます。いただいたサポートは取材や書籍等に使用します。これからも様々な体験を通して知見を広めます。