アフガニスタンのことを考えてみる 2

アフガニスタンの首都カブールの国際空港周辺で、ISの関連組織が行ったとされる「自爆テロ」があった。このようなことが起きることは想定されていたが、意外にも早い段階で起きた。また、欧米の情報機関が情報を掴んでいて、警告を出していたにもかかわらず阻止できなかったということで、米国の治安能力の低下も言われている。いずれにしても、実際のところは現段階ではわからない。この種の出来事に良くあることだが、未知の部分が多すぎる事件でもある。もちろん、想像すること、疑うことはいくらでも出来る。しかし、ほんとうのところで、どういう意図をもって誰がやったのかは明確にはわからない。そして、それは決して明らかになることはないのかもしれない。

さて、米国のバイデン大統領は早速ステートメントを出し、この「犯罪」を犯した連中に「報復する」と宣言した。そして実際にアフガニスタン北東部でドローンによる攻撃を実施し、計画立案者を「殺害した」と言明した。この発言からわかることは何もない。少なくともこの30年来米国が繰り返し言ってきたことに新しいページが加わっただけである。いつも米国はこのようなスタンスで発言し、米国が世界のリーダーであり、その米国に楯突くことはゆるさない、という立場である。とくに、今のようにその立場が大きく揺らいでいるときには、より性急に過激な行動に出てくることは想定内であろう。

考えなければならないのは、今回の事件は何故起きたかということと共に、この「報復する」という言葉に表出するなんとも救いのない愚かな思考である。そして、自らの非を脇へと押しやり、自らの正当性を主張し、刃向かう相手に非があると断定して行動する厚顔無恥なやり方に対する嫌悪というのか、偽善的な態度に対する違和感であろうか。

そもそも歴史を辿れば、上記のことに対する答えはいくつも出てくるのだが、あまりにも数が多すぎて目眩がするほどである。1990年の湾岸戦争以降だけでもいくつもあるのだが、そもそも自分たちが力に物を言わせて他国あるいは他の文化圏の国や地域を占領し、資源を収奪し、人々を隷属させ、そしてそれにたいする反抗に直面したときに、相手を反逆者、テロリスト呼ばわりすることのどこに正当性があるのだろうか。

米国の歴史とは、ほぼそのような歴史であり、もちろん米国に限らず英国やフランス、ベルギー等やロシア等の国々の近代以降の歴史もそうである。

今の混乱した世界の情勢は、それら国々が行ってきた植民政策や資源収奪の数々などがもたらした必然であり、それは今でも続いている。そして今回の米国のような政策がいつまでも続くのであれば、エンドレスにこれからも続きかねないと言えるだろう。

とりあえず、米国に的を絞ってここでは書くが、米国が中東で行ってきた(そして現在も行っている)政策は、明らかに破綻している。強引な辻褄合わせでそれらを正当化しようとし続けていることにより、より破綻は深刻化し、より多くの市民や弱者を殺し、彷徨わせ、憎しみを生み続けているといえる。

今回のカブール空港の出来事では、多数のアフガニスタン市民と共に、13人の米国人も命を落とした。この人たちは哀しい被害者であると思う。国家の独楽としてアフガニスタンへ赴き、彼ら自身はアフガニスタンを救うという絵空事を信じて行ったのだろう。しかし、現地の人々の多くからは常に敵として見られ、まだこれからの若い兵士たちが無意味に死んでいった。

このような悲劇がいつまでも続かないようにするにはどうしたらいいのだろう。これは非常に難しい問題であり、解決を頭の中で考えるのは非常にシンプルであるが、現実として実現するのは、かなり困難でもある。米国や欧州主要国やロシア、そして最近では中国も入るかもしれないが、これらの国々が覇権主義から方向転換することは、そう簡単ではないだろう。今の世界システムが存続し、あるいは現在の政治家や経済界の枠組みが存続している限りは不可能かもしれない。

だからこそ、それに対する手段としての抵抗は意味を有している。わたしはそれがどのような手段でも有意義だと思う。たとえ今回のような手段であってもだ。

すぐにわかることだが、悪に対抗する者たちが今回のような手段に訴え、数十人、数百人を殺害することがテロであり、卑劣な手段であるのならば、なぜ米国のような国が数万、数十万の人たちを殺すことが正当化されるのか。さまざまなレトリックが弄されるが、それは決して正当化されない。米国は明確に殺人国家であり、彼らには一片の正義もないのである。

抵抗しなければ隷属させられていくだけなのだ。わたしは、ISなどを支持するわけではないが、彼らのやっていることには一定以上の理解を持っている。そして、彼らはこれからも同じような手段を執り続けるだろうし、同じようなことを標榜する個人や組織は、よりたくさん現れてくるだろう。

わたしは夢想している。どこかの段階で、米国などの大国の指導者が、歴史的な非を認め、謝罪し、世界の様々な異なる文化、人種の国々、地域、人々との共存を選び取る日が来ることを。

米国などの国々が侵略、殺人を止めたときに、今回のような出来事は必然として無くなっていくであろう。国や地域や人種に限らず、だれもが真の意味で平和と建設的な未来を望むのであれば、米国始めとした大国のドラスティックな政策変換と、彼らの思想的な変革が必然だと思う。

その上で誰もが真の意味で対等に生きていける世界を築いていくことが、今ほど求められている時もないのかもしれない。

とはいえ、人類がその機会に気がつき、生かすことが出来るかどうかを考える時、わたしは否応なく暗澹たる気持ちにさせられるのである。



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