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約80年という長い人生を歩み続けられるのだろうか

最近、自分はこの長い人生を生きれるのだろうかと思うことがある。


様々な制限により、人と会いづらく遠くへ行きづらい。


昔から“何か”に縛り付けられることが自分は大嫌いだ。学校にいると収容所に入れられている気分だし、大学に行き始めて学校というものに自由を感じた。聞いた話では、実際に校舎というのは入り口が監視されていたり、壁で囲われていたりと、刑務所や収容所の造りと似ている点が多いという。嶋田少年が学校を収容所と感じ、また外で自転車に乗る主婦などを見かけるとそこに自由を感じ羨んでいたことはあながち間違いではなかったと合点がいった。


中学、高校は点数や成績の話ばかり。しょっちゅうのテスト、一体何を学んでいるのかと何度も思った。学びのためのテストなのか、テストのための学びなのか。

全ての人が同じ評価軸の上に立たされる程縛り付けられていると思う瞬間は無い。だから、大学は幾分気が楽で、純粋な意味で勉強(学び)ができた。


しかしだ、電車の中などを見回すと特に私立大の広告では就職に強いだの何だのと、最高学府である尊厳はまるでなく、顧客(受験生/学生)に対してのセールストークをするという愚行に走っているでは無いか。

こうして大学も就活のための就活生製造場となっていくのである。そしてそこに何か縛られている感覚をもつ自分のようなものは修士や博士課程に進んだり、起業をしたりと自分の路線を見つけて離れてゆく。

小中高大がこの調子であるから、当然会社に行っても同じ調子である。既定路線、既得権益、年功序列または蹴落とし合い。良い活動をし、やりがいを感じている人もいるとは思うが、社会全体が前述のようなシステムの上に成り立っている以上、なかなかそこから離れた場所、思考に行くことは難しい。

起業をすると、個人のお客さんとのつながりも増えたり、休日のようなボランティアのような仕事のような1日を過ごしていても文句は言われない。多少の礼儀や慣行は無ければ無縁孤立しこの社会での“仕事”というのはできなくなるが、会社員よりかは大分マシである。


だが最近はそんな私でも縛り付けられてしまっている。

様々な制限により、人と会いづらく遠くへ行きづらい。これまで海外に行くだとか、日本でも遠方に行くだとかが比較的容易であった時は意識していなかったが、それがしづらい状況に置かれるとたちまち“縛られてる”という感覚に襲われる。


この状況がいつまで続くかは分からないが、心は全てのものと離れたところにある何かを求めるようになっていった。

私の場合は宗教であった。思考や感覚、感情のオアシス、避難所ともいえるべき存在が寺であり教会であり神社であった。

私は最近ほぼ毎週教会に通うようになった。そして数年前からはお寺のお手伝いで月に2、3回お寺にも足を運び体を動かしたりお話を聞いている。また最近はある神社とご縁をいただきお話をさせていただいた。

この身は俗世にはいながらも、私の中身だけは避難所に入ることができた。


俗世で生きるということは楽では無いと思う。私よりももっともっと苦しいお立場の方もおられることだろう。

ここで宮台真司氏のある言葉を思い出す。「社会という荒野を(仲間と共に)生きる」。社会はもう荒野なのである。その中で大切なものは人間(仲間)とのトゥギャザネスであり、合理主義では説明のできない無駄なやりとりや愛こそが必要となるというメッセージである。


ここら辺で話を一旦締めようと思うが、私は約80年を生き切れるかはわからない、しかし我々が荒野に置かれているということは自明である。縛られているのでなく、荒れ果てた野にポツンと1人放たれているということであるならば、土を耕そうじゃないか、水を与え、木々を植えていこうじゃないか。

荒野が深き緑に満たされた、神宿る杜(もり/森)となることを目指そうじゃないか。かつての日本人が杜に神を見出し、神の杜(社)とし神社としたように、我々は荒れ果てた大地に潤いをもたらす超人(ニーチェがいうところの超人)となろうではないか。

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