NMSはあなたも経験するかもしれない失神

元自衛官がPOTS と診断されるまで

32歳のBさんは快活で、一見したところ健康そうな男性です。他の病院でPOTSと診断されたあとに治療の継続を希望して、私の外来にいらっしゃいました。

初めて症状が出たのは自衛隊に勤務していた19歳のときでした。

日中は訓練を行い、夜は外出して出歩いたり、お酒を飲んだりする生活を送っていたそうです。当時は週に5日間、一日に5キロから20キロメートル走っていたのに加え、筋トレとしてサーキットトレーニングも行っていました。

あるとき、自動車を運転していると、目の前が白くなって、ボーッとする感じがしたため、安全な場所に停車してしばらく休みました。帰宅後しっかり睡眠をとると翌日には症状が改善していました。当時は疲れのためだと思っていたそうです。   一般の人には自衛隊の仕事は厳しい、強制的と思われがちですが、Bさんによれば、基本は志願制であり、隊員の多くは楽しみながら訓練などにチャレンジしているとのことでした。

日ごろのトレーニングで体力がついてくると、いい意味で調子に乗り、短い睡眠時間にもかかわらず、仕事やプライベートで長く活動する日々が続いていました。それと同時に身体を絞るために食べない、飲まないといった間違ったダイエットを行ったそうです。そのころから、ふらつきや頭が重くなって倒れてしまうなどの症状が頻繁に出るようになりました。

夏でも汗が出にくく、身体の中に熱のこもる感じがあり、春と秋の肌寒いときでも半袖シャツにハーフパンツの軽装でないと過ごせませんでした。

23歳のときには休んでも症状が取れなくなり、国旗掲揚の際に30秒ほど静止するときも真っ直ぐに立てず、銃を杖代わりにしてごまかしていたこともありました。あまりにもふらつきや真下に落ちるような感じが続くため、上司に相談したところ、自衛隊の関連病院を受診するようすすめられました。まず10日間ほど検査のために脳神経外科に入院しました。結果は異常なしでした。そこで1か月後、今度は別の検査を行って症状の原因を突き止めるために、内科に入院しました。このときに受けたのがヘッドアップチルト検査でした。

この検査では、患者さんを仰向けの状態でベッドに寝かせ、胸と腰と脚をそれぞれベルトで固定します。その後、血圧計と心電図を取りつけてベッドを垂直の方向に起こしていき、血圧や心拍などがどう変化したかを記録します。 検査の当日、準備が整ったあとに、担当の医師が仰向けに寝ているBさんのベッドを80度まで起こしました。その直後に、胸の気持ち悪さや頭が重い感じなど、いつもの症状が出てきました。Bさんはそばにいた看護師さんにそのことを報告しました。医師は心電図と血圧計を確認しましたが、まだ異常はなく、そのまま検査が続けられました。

Bさんの症状はさらに進み、目の前が白くなる感じと吐き気も出てきました。次第に胸が苦しくなり、医師に「何かわかりませんが、もうダメです……」と言ってそのまま意識がなくなってしまいました。

その後、看護師さんがBさんの名前を呼んでいるのが聞こえてきました。目が覚めてから聞いた医師の説明によると、ベッドを80度に立てた2分後にBさんの心臓は10秒ほど止まってしまったそうです。 30分くらいで症状が改善したあと、Bさんは歩いて病室へ戻りました。このときについた診断が「神経調節性失神」(以下NMS)でした。

担当医からは、「30歳くらいになると、身体が衰えてくるのと同時に自律神経の機能も敏感ではなくなります。症状は風邪を引いたときのように徐々に改善してくると思いますよ」と言われたそうです。また、毎日かなりの距離を走っていたのも原因の一つではないかと説明されました。しばらくは運動量を減らして対処することになり、この検査の翌日に退院しました。

翌年、Bさんは自衛隊を除隊し、以前から希望していた北海道で新生活を始めました。しかし、数か月過ぎても症状は消えません。立って電車に乗れない、歩いているときにふらつく、事故が怖くて車が運転できないなどの不安が大きく、関東の実家へ戻ることにしました。

このころからBさんの医療機関巡りが始まりました。近所のクリニックや大学病院を受診しましたが、毎回、診察した医師からわからない、気のせい、メンタルの問題と言われます。心療内科では抗うつ薬を処方されましたが、効果を感じたことはありませんでした。

そして31歳のとき、もう一度、検査を受けるため、大学病院に入院したのです。このときのヘッドアップチルト検査では、血圧と心拍のほかに血中のノルアドレナリン濃度が測定されました。ノルアドレナリンは交感神経が興奮したときにその刺激を伝達するホルモンで、血圧の上昇や、中枢神経系を刺激する作用があります。

Bさんが横になっている状態からベッドが起こされて5分後、最高血圧は130程度でほとんど変化しませんでした。一方で心拍は安静時より30拍ほど増加しました。

起き上がって5分後のBさんのノルアドレナリン濃度は768 pg/ml(ピコグラム・パー・ミリリットル)でした。これはかなり高い値です。

POTSの患者さんには、立ったときのノルアドレナリン濃度が600pg/ml以上になる人たちがいます。このような方たちを、高アドレナリンPOTSというサブタイプに分類することがあります。

Bさんの場合、立ち上がった時の症状のほか、心拍と血中ノルアドレナリンの上昇を加味して、最終的にNMSの症状が強く出ているPOTSと診断されました。


1割しかいないけれど、心原性失神には要注意

先ほどのAさんにも、長くじっと立っていると意識を失って倒れてしまうことが何度かありました。

POTS患者さんに限らず、失神、すなわち一時的に意識がなくなる症状があるとき、医師はまず心臓そのものに異常がないかどうかを詳しく調べます。

たとえば、脈が数秒のあいだ止まってしまう不整脈や、心臓の中にある弁に異常がある場合は、適切な治療を行うことで改善が見込めます。このように心臓の病気が原因で起きる失神を、心原性失神と呼びます。

じつは心原性失神は、全体の約1割とむしろ少ないのです。しかし、このタイプの失神は、心臓が止まったまま元に戻らなかったり、意識を失って倒れた際に大怪我をしたりして、命に危険がおよぶ可能性が高いことが知られています。このため、私たちは心原性失神の有無を真っ先に調べるのです。

ふだんは健康でも、緊張する場面や、朝礼などで同じ姿勢で長いあいだ立っているときに、急に意識を失って倒れる人を見たことがあると思います。自分でも同じような体験をした人もいるでしょう。 このような場合、ほとんどがNMSによる失神です。これまでの研究によると、失神の原因のおよそ6割がNMSだったそうです。  

NMSは誰にでも起きうる意識消失のメカニズム

NMSの説明を読んで、緊張するといつもより興奮して心臓もドキドキするのに、なぜそのまっ最中に血圧や脈拍が下がるのか不思議に思うかもしれません。

長いあいだ同じ姿勢で立っていたり、水分を十分に取らずにいたりすると、脳に送られる血液量が低下してきます。すかさず、交感神経が働いて脚の血管を締め上げて血圧を上げ、心拍数を増やして全身の血流を保とうとします。

このとき、必要以上に交感神経の活動が強くなりすぎてしまうことがあります。自動車でいうと、アクセルが急激に踏まれたようなものです。すると、脳が「身体が異常に緊張しすぎている」と察知して、リラックスをつかさどる迷走神経を介して心拍を下げようとします。血管を拡張させて、血圧が急に下がってしまうこともあります。こちらは自動車でいえば、スピードが出ているときに急ブレーキを踏んだ状態と同じです。

このようにNMSは、もともと身体に備わる回路によって保たれていたバランスが、何らかの原因で破綻して生じるといえます。つまり、条件さえ整えば誰にでも起きうるのです。  

そして一般の人に比べて交感神経が強く働きやすいPOTSの患者さんは、NMSを起こしやすいのです。

実は先日、私自身もNMSを経験しました。

少し前から胃腸の調子が悪く、食事を少なめにして様子を見ていました。ある当直明けの早朝、座って事務作業をしているときに、激しく差し込むような痛みを下腹に感じました。場所からいうと腸が、何らかの原因で強く収縮したためだと思われます。おそらく、内臓の動きを調節している迷走神経の緊張が高まっていたのでしょう。

とっさに洗面所に行こうとして立ち上がったときに目の前が白くなり、全身の血の気が引いていきました。迷走神経の興奮が心臓や血管にも伝わって、脈や血圧が落ちてきたのです。  

しゃがまないとまずいと思ったときは、すでに一歩を踏み出していました。両脚に力が入らなくなり、そのまま意識が遠のいていくのが感じられました。ゆっくり、身体が傾いて床が近くなっていきます。さらにゆっくりと床に倒れていく自分を認識しながらも、しだいにその感覚がなくなっていくのがわかりました。まるで、パソコンがうまく働かなくなって、徐々に機能が停止していくときのようです。薄れていく意識を見つめている自分をはっきり感じつつ、突然すべてが消えてしまいました。

意識を失って床に倒れていたのは、ほんの数秒だったと思います。すぐに気がついて起き上がり、壁をつたって医師の控室に戻ったあと、ソファに横になってしばらく休んでいました。15分ほどですっかりもとの体調に戻り、その日はふつうに勤務をして帰宅しました。

NMSの患者さんは、横になるとすぐに意識が戻るうえ、健康な人と比べて寿命の長さも変わりません。すなわちNMSがあったとしても、あわてる必要はありません。

ところが症状が起きるメカニズムをよく知っているはずの私でさえ、実際に倒れてみると大変なショックを感じました。たとえ命に別状はないと言われても、意識を失ってしまう発作を何度も経験すると、その人の生活の質は著しく落ち、人生にも大きなインパクトを与えることになるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?