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金の匂いは安心するが心を踊らせてくれない

色々なサービスを使って、個人が比較的簡単にお金儲けができるようになってきています。
それのおかげで、さまざまな働き方ができるようになり、いい世の中になってきたと思います。
SNSなどをながめていて、有料で何かを提供し続けることができている人はそれだけの価値がそこにあるという証に他ならなくて、本当に素晴らしいことだと思います。
逆に、ちゃんとしたことをやっていても無料だからこそ怪しく見えるものすらあります。本当に効く薬でも無料となると、むしろ怪しく感じます。適切な価格設定というのは人に安心を与えるのは間違いありません。
ただ、お金にならなくても何かをやり続けている人を超えて、人の心を動かすのは難しいんじゃないかと最近思うことがよくあります。

自分でもそれはなぜかパッと説明がつかないので、少し考えてみたいと思います。

ある物事を提供している人が、それが他の誰かにとって価値があるとわかったので、有料で提供しようとするのは当たり前のことだと思います。私がその立場でも間違いなくその選択をすると思います。
今書いてて思ったのですが、「当たり前」のことだから、心が動かないのかもしれません。
そういう意味では、何かを無償でもやり続けられる人はある種、「異常」とも言えるからこそ、そこに魅力があるのかも?

時々、You Tube で 10年前とかに投稿された動画がおすすめに出てきて視聴することがあるのですが、その動画には何とも言えない「強い思い」が感じられる。気がします。
それは、私の「収入を得るための動画」に対するバイアスによるものなのかもしれません。でもきっと、おそらく、10年前に動画を投稿している人は、その物事に対して、「これをみてくれ!」という気持ちだけで投稿したのではないかと思います。
そのような動画はたとえすごい動画じゃなくても、見ていて不快になることはほとんどないし、時には熱いものが込み上げてくることもあります。

お金のために、何かをやるというのが(実際もらえるかどうかはさておき)簡単にできすぎてしまう。というのは、そういう意味では、少し寂しい気持ちもあります。
では、10年前に10年前の動画を見ていたらどう感じたんだろう、と想像すると、容易く「クソ動画UPすんな」って思っている自分を想像できます。
わがまますぎます。
今の環境がその価値を変えたんだと思います。そう思うと、画家の作品が死後に評価されることが多いというのも何となくわかる気がします。

これから生成AIで、高品質な文章、画像、映像は間違いなく増えてきます。そうなった時に、一体どのようなものが評価されるようになるのか、そんなことを考えるのも面白いかもと思います。

以上よくわからない文章でした。

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