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「あ」札は一字でわかるのか 解説編

 今回は「あ」札を一字で聞き分けることができるか、という問いについて、音響音声学的に考えてみたい。Twitterのアンケート機能を使って行った「あ」札聞き分けクイズ(?)の解説編となっているので、まだTwitterの方を見ていない方はぜひそちらを見てからお読みいただきたい。

https://twitter.com/kokoroateni1998/status/1248073230138494976

https://twitter.com/kokoroateni1998/status/1248211726270468097

https://twitter.com/kokoroateni1998/status/1248212089589477377

「あ」札を一字で取るための条件

 そもそも、「あい」「あし」「あけ」を一字で取るための条件とは何だろうか。それは、二字目の子音を判別すること、だ。具体的にいうと、「あ」に続く [i] [ɕ] [k] を「あ」が発音されているうちに判別することができれば、「あい」「あし」「あけ」を一字で取ることができる、ということになる。

 では、前の母音だけで次の子音を判別するなんて、そんなことが可能なのだろうか。結論からいうと、可能だ。ここでは、競技において聞き分けられるかどうかという点は一旦措いて、理論的なことを解説しよう。

人間が子音を聞き分けるための三つの要素

 人間が子音を聞き分けるための要素は三つあるといわれている。「子音の音響情報」、直前の母音の「フォルマント遷移」、「音の長さ」だ。「あ」札を一字で聞き分けようとする場合、子音そのものの音響情報は使うことができない(子音の音響情報を知覚した時点で「一字」ではなくなっているから)。よって、この場合は「フォルマント遷移」と「音の長さ」が重要だということになる。

フォルマント遷移

 この「フォルマント遷移」については解説が必要だと思うので、説明しておこう。まずは「フォルマント」について。

 人間の音声は、グラフ化すると複雑な波の形をしている。

これは筆者が「あーーーー」と発音した際の波形だ。複雑な形をしていることがわかるだろう。

 このように複雑な波形の音声だが、いくつもの正弦波に分解することができる。この分解をフーリエ変換という(下図参照)。

 フーリエ変換をすると、どの周波数の波がどのくらい含まれているかがわかる。

これはスペクトルと呼ばれるグラフで、フーリエ変換した結果どの周波数がどのくらい含まれているかを表したものだ。横軸が周波数で、高く盛り上がっているところが多く含まれているということになる。このスペクトルでいうと、1200Hz、1500Hz、3000Hzあたりの周波数が多く含まれている。この多く含まれている周波数、つまりスペクトルで高く盛り上がっているところを「フォルマント」といい、私たちはフォルマントがどの周波数にあるかで音声を聞き分けている。

 母音と子音が並んでいるとき、子音の前にある母音は次の子音に影響を受けてフォルマントの位置が上下に変化する。これを「フォルマント遷移」という。実際に見てみよう。

画像下段はスペクトログラムと呼ばれるグラフで、縦軸が周波数、横軸が時間、色の濃淡が音の強さを表す。スペクトログラムを使うとフォルマントが時間とともにどのように変化しているかを見ることができる。赤の点線がフォルマントで、下から順に第一フォルマント、第二フォルマント……と呼ぶ。以下、「F1,F2……」と表す。

 黄色の円で囲んだところを見ると、F1・F3が下がり、F2が上がっていることがわかる。これは次の子音 [kʲ] に影響を受けた結果だ。

 実は、母音のフォルマントがどのように変化するかは次の子音の種類によって決まっている。表にまとめておこう。

 人間はこうした子音の種類によるフォルマント遷移の違いを聞き取ることで、子音の聞き分けの助けとしている。

①フォルマント遷移で聞き分ける

 これを踏まえて「あい」「あし」「あけ」のフォルマント遷移を考えてみよう。

 まず、「あし」の二音目の子音 [ɕ] は舌先音なので、フォルマント遷移はF1=下降、F2=上昇、F3=上昇、となる。次に、「あけ」の二音目の子音 [k] は舌背音なので、フォルマント遷移はF1=下降、F2=上昇、F3=下降、となる。最後に、「あい」は二音目 [i] が母音なので上の表には当てはまらないが、ゆるやかに [a] から [i] へ移行することを考えると、フォルマント遷移はF1=下降、F2=上昇、F3=上昇、となる。

 このようなフォルマント遷移の違いを聞き分けることによって、一字で聞き分けることができると考えられる。

②音の長さで聞き分ける

 しかし、よく見ると「あい」と「あし」のフォルマント遷移はすべてのフォルマントにおいて同じだということに気がつく。これでは聞き分けることができないではないか。

 そこで、もう一つの要素「音の長さ」についても考えてみたい。一般的に有声子音の前の母音は長く、無声子音の前の母音は短く発音されるという。これを踏まえると、「あし」の二音目の子音 [ɕ] は無声子音だから「あい」の「あ」よりも「あし」の「あ」の方が短く発音されるのではないかという仮説が立てられる。実際のスペクトログラムを見て確認してみよう。

「あし」の方が「あ」の長さが長いことがわかる。こうした音の長さの違いも、「あ」札を一字で取るための要素になるだろう。

「あ」札16枚を考える

 ここまで「フォルマント遷移」と「音の長さ」の二要素をもとに考えてきた。二つの要素を組み合わせれば、三首を一字で聞き分けることはできそうだ。

 しかし、これだけでは試合の場で「あい」「あし」「あけ」を一字で取ることができるということを証明できていない。他の「あ」札13枚との関係性を考慮していないからだ。「あ」札を二音目で分類すると「あき」「あけ」「あさ」「あし」「あら」「あり」「あわ」「あま」「あい」の九種類になる。さらにこれを二音目の子音のタイプによって分類すると次の六種類になる。

◆あ+無声舌先音―――「あさ」「あし」

◆あ+無声舌背音―――「あき」「あけ」

◆あ+有声舌先音―――「あら」「あり」

◆あ+半母音―――――「あわ」

◆あ+両唇鼻音――――「あま」

◆あ+母音――――――「あい」

これら六種類それぞれを「フォルマント遷移」と「音の長さ」の二要素で見ると、次の表のようになる。

こうして「フォルマント遷移」と「音の長さ」の二要素の組み合わせを用いると「あ」札を聞き分けることができる。しかし、「あい」と「あり」だけはすべての項目で一致しており、これら二つの要素だけでは聞き分けることができない。「あい」と「あり」でお手つきをする人が多い(?)のは、こうした理由によるものではないだろうか。

 また、「あさ」と「あし」、「あき」と「あけ」についても「フォルマント遷移」と「音の長さ」だけでは聞き分けることができない。

 となると、「あい」「あし」「あけ」を一字で取れる、という意見に対して説明するのはもう少し検討が必要だろう。今回はこれ以上検討結果を示す準備がないが、稿を改めて検討することにしたい。

課題

 最後に、ここまでの考察の課題を挙げておこう。

 まず、すでに述べた「あい」「あり」、「あさ」「あし」、「あき」「あけ」の聞き分けについて。これについては新たな聞き分けの要素を見つける必要がある。

 次に、実際の試合において実践可能かどうか、という点。確かに理論上は聞き分けることが可能だが、試合の場で音を聞いて次の子音が読まれる前に判別できるのだろうか。これについては私だけでは検討できないので、かるた選手の皆様にぜひ検討していただきたいところだ。

 最後に、読手による個人差について。今回は一人の音源をもとに検討したが、これが多くの読手に当てはまるかどうか。読手それぞれの個人差や会場の違い、あるいはマイクの有無などの違いによって左右されるかどうかを検証する必要があるのではないだろうか。

以上、「あ」札の聞き分けについてでした。お読みいただきありがとうございました。

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