#存在価値ゼロと認めてから
それを認めることにしてみた
それはそれはとても苦しいこと
ただ
存在価値ゼロ=生きてる意味もゼロ
そう言う紐付けは不思議としなかったので
救われたんだと思う
じぶんの価値観から
まずは見直すことにした
わたしはひとりっ子で育った
親の愛はわたし一人だけに
向けられれば良かったが
そうはいかなかった
実は父違いの兄弟が居たのだ
それを知ったのは小学校5年生の時
両親はわたしの前でいつも
喧嘩をしていた
だけどわたしは信じていた
この2人は別れないと
だけど
わたしの母は過去に離婚したことがある
離婚する可能性を幼いながら感じたとき
家族がバラバラになってしまうような
気がした
裏切られたような気持ちになった
覚えがある
母は兄に罪悪感を感じながら生きていた
そして
そんな母に育てられた
中学生から高校生にかけて
わたしは激しい反抗期を迎えた
親は長年連れ添うことで
夫婦間の愛が薄れたようだ
子と言うかすがいが外れると
家族は支え合うことはなく
崩壊していった
昔からひとりっ子として
ひとりで遊ぶ環境に居たわたしは
外に居場所を求め飛び出した
友達と遊ぶことが生き甲斐になる
友達と電話をしたり
遊びに行ったり
居場所を探した
明るくて温かい自分を迎え入れてくれる
居場所が欲しかった
親は反抗する娘にどんどん厳しくなる
わたしは更に反抗する
家に居たくない
そして
高校卒業して県外に出たと同時に
親は離婚した
高校卒業するまでは我慢したと
母が言う
わたしのせい?
小さい頃から
あまり家族と喋った記憶がない
きっと、記憶がないだけ
お喋りなわたしは喋っていたと思う
ただ、
だれかが家に来ると
非常にお喋りだった
うるさい子だった
ひとが家に来ると
親はいつもより優しくなる
ご飯が美味しくなる
ひとが家に来ることが
嬉しかった
1人じゃないって思えた
親はいつも厳しかった
病気をすると母は異常に優しかった
かわいそうに思ってくれて
優しかった
そして
あんたは体が弱いから
いつも熱を出しては保育園から
連絡があって
職場に謝らなきゃいけなくて
大変だったと言う
それでも体調が悪いと
優しくしてくれた
父はいつも
あまり喋らない
晩酌をして早くに寝ていた
いつも母にそそのかされて
怒鳴り散らしていた父
本当はやさしい人
小さい頃のあんたは
朝目覚めると
お父さんの所へ直行していた
と母は言う
いつも
母が聞く
お父さんとお母さんどっちが好き?
常にどっちも好きと
わたしは答えていた
わたしはいつも同い年のいとこと比べられた
可愛いのはあの子より我が子
頭がいいのもあの子より我が子
負けちゃダメだ
そう言われているようだった
幼少期から社会人になるまで
わたしはそんな場所で育った
もちろん愛のある日々もあったと思う
だけど
思い出せるのはこんなことばかり
じぶんの行動と価値観と
育った環境を照らし合わせると
ひとの価値観は
育った環境が大きく関係していると思う
ひとの反応や態度を見たり
相手の表情で
今こう思っているだろうな
と察してしまうのは
小さいころから親と言う
大人の反応を伺って来たからだ
それが実際に社会に出て
出会った相手とリンクした時
良くも悪くも
上手に振る舞えてしまうのだ
高校生の頃まで
こどもの気持ちのわかる大人になる
そう思っていた
だけど
今はこどもの気持ちが全然わからない
ただ
お母さんみたいになりたくない