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男友達は恋人になれるのか

今から約5ヶ月前にリストラーズを知った当時は誰がリードボーカルかについてなど頓珍漢な混乱に陥っていたものの、それも落ち着き、メンバー全員が凄い実力を待つグループとして尊敬するようになっていた。

その中でも、気になっていたのはX/Twitter民に絶大な人気を誇るあの甘い声の持ち主。皆んな大好き加藤氏だった。
声を張った時の艶のある黄金糖を思わせる歌声や吐息を含んだ囁くようなベルベットボイス、低音域の妖しくなまめかしい声、女声パートを歌う時の可憐さ。確かに甘いと形容することに間違いはないが、聴く曲ごとに、いや、同じ曲目でさえも歌い方で複雑にその色合いが変わる。
加藤氏はそのボーカルが時折り揺らめくように、ミステリアスでどこか危なっかしい魅力を纏っているように思えた。そこに惹かれるとは、まるで危険な恋に憧れる少女のようではないか。

リードの動画はもちろんのこと、コーラスも加藤氏のパートを聴き分けるために何度も何度も繰り返し聞き続ける。中でもあみんの「待つわ」では野村氏のボーカルの下にハモる声の可憐さにやられてしまい、ヘッドフォンを耳に押しつけては、彼の声を探し当てることに夢中になった。
あるいは、「勝手にしやがれ」の澤田氏のリードの下にハモる声の妖艶さにも。
誰がリードでもそっちのけ。加藤氏の声の魔力に捕まり、そこにどっぷりと浸かっていった。

その時期、X/Twitterでの加藤氏の人気の勢いは目覚ましく、学園を舞台としたラブコメ漫画で例えれば、彼は学園のプリンス。リストラーズについて投稿する方は軒並み加藤氏推し。X/Twitterはそれらがこぞって加藤氏のここが素敵、そこが堪らないと称賛する投稿で溢れていた。
在宅勤務動画では動作、表情とも抑えめ。その分優雅さが際立ち、例えば胸に手を当てる仕草ひとつとっても指の先までが美しく、その姿は貴公子と称された。
かと思えばリサイタル動画では別人のようにはっちゃけている。しかも動きのどの瞬間を切り取ってもいちいちキマっていてカッコいい。
私はといえば、投稿で数え上げられるそれらをそうかと慌てて確認するばかり。いつまで経っても細かい魅力に気づけない。王子様を取り巻くキラキラした女子から少し離れたところで密かにお慕い申しあげている地味子のように、その様子を羨ましいような、眩しいような気持ちで眺めていた。
 
今思えばこの時点ですでに傍観者である。
周囲が盛り上がるほどに生来の感情の温度の低さが顔を出してくるのが私の悪い癖。他のファンの方に比べて自分に熱量が欠けていることにうっすら気づき、それに引け目を感じ始めるのもこの頃だった。
加藤氏を推すために、常に加藤氏に意識を向けて動画を見続けている。それなのにどうしてこんなにも彼の魅力を具体に取り出して表明する事が難しいのか。
こんなので、加藤氏推しを自称してよいのか。

どれだけ集中したつもりになっていても、私の中の彼は「素敵」という大きな括りの中で抽象的な姿のまま。そうは言うものの、もうそこまで集中せずとも加藤氏の声を曲の中に追えるようにまではなっていたある日のこと。

多分彼の魅力を掴みきれなくて、向き合うことに疲れてしまっていたのだと思う。つい気を抜いたままで聴いてしまったのだ。「待つわ」を。

今まである意味遮断されていた加藤氏以外の情報が、油断している私の心に奔流のように流れ込んでくる。澄み切った秋の空をどこまでも突き抜けていくような野村氏の声。哀しい恋を貫き通す女性の決意を物語り、その凛々しさにはっとさせられる。その下には可憐と見せかけて強かな妖しさを忍び込ませる加藤氏の声。この曲の世界観にぴったりだ。この複雑な女心を表現するためにはどちらが欠けても成立しない気がした。こんな風な聴き方をするのはいつから振りだろうか。

加藤氏の声を探さずに聴く間奏。分厚いコーラスがひと塊りになって耳に心地良く響いている。と、そこから線の太い旋律が柔らかな輪郭を持って立ち上がってきた。何だろう、この優しさは。その旋律はちょっと疲れていた私の心をじんわりと温かい大きな手で包み込むかのように流れていく。

なんで気づかないでいたのだろう。今まで何十回と聴いていたはずではないか。

旋律の主は澤田氏。いつも、こんなに優しい声で歌ってくれていたはずなのに、なんで今まで気づかないでいられたのだろう。

どこかで知ってるこの感覚。
学生の時誰が好きなのと言う話になって、女子に1番人気のサッカー部のキャプテンと言ったもののあまりにも遠い存在。近づくこともできないままひたすら憧れただけの叶うはずもない初恋だった。小説や漫画ならここで、いつも側にいて優しいが、異性としては意識していない男友達が登場、主人公はにわかに恋愛対象として彼を意識し、ハッピーエンドになるあのパターン。むろん私にはそんな素敵な男友達はいなかったのだが。
私はこの日X/Twitterに次のような投稿をしている。

これ以降、コーラスを聴く耳は全て澤田氏に持って行かれる。探す必要はない。持って行かれるのだ。
「待つわ」は野村氏、加藤氏がリードを務める分だけコーラスが高音から低音まで忙しい。野村氏に代わって高音部を担う草野氏にハモる位置まで駆け上がって、華やかな音色を奏でたと思えば、最低音まで確かな足取りで降り立って深い声を響かせる。どの声域でも無理がなく美しい。安心して耳を委ねていられる。

この日を境に危険な恋に憧れる少女じみた心は現実に引き戻され、どこまでも優しく安心を与えてくれるこの声の持ち主に強く惹かれるようになってゆく。

それまで「勝手にしやがれ」は加藤氏のハモりを聴くために再生していた動画だったが、澤田氏のリードを聴くために再生するようになった。
意識のど真ん中に流れる甘さを含んだツヤのある声。沢田研二氏の声に寄せているのか。寄せてはいるがモノマネではない。全盛期の沢田研二氏の艶やかさは誰にも真似ができないから。
暗いステージ、まばゆいスポットライト、たちこめるタバコの煙、そこに咲く大輪の薔薇が惜しげもなく放つむせ返るような色気。
スーツに眼鏡の彼はそこには似つかわしくない。仕事終わりに照明を落としたバーのカウンターにひとり座ってバーボンの水割りを頼み、ふとネクタイを緩める。瞬間きつく結ばれたその結び目から封印を解かれた色気がため息とともに立ちのぼる。世間一般でスーツを着用している男性ならきっと誰にでもある瞬間だろう。
彼はきっちりとスーツを着込み、歌っているのにその儚い色気を漂わせているように思えた。これが出力調整されず沢田研二氏のように惜しげもなく放射されたらどうなるのか。優しく安全だと思っていた男友達の別の顔を垣間見たようで胸がざわつく。
思っているところに加藤氏の妖しい下ハモが入り、曲は一気に沢田研二氏の世界に近寄っていく。
そう言うところなのだ。加藤氏の魅力は。
胸の奥にはまだ彼もいる。
初恋の記憶は永遠に美しい。

加藤氏に惹かれた時と同じようにやっぱり入り口は耳からの刺激。しばらくは動画の画面に意識を向けるに至らない。その後視覚を刺激する決定的なトリガーと出会うことになるのだが、それは10月の始めのこと。
それまでにはまだ1ヶ月以上の時を要するのである。


 










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