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友達が亡くなるという事実に耐えられなかった私の脳の選択

私は30歳頃から数年間ベリーダンスを習っていた。音楽に合わせて盛り上がりたいという安易な気持ちから。テクニカルなことはやっていれば後からついてくると思っていた。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。努力が苦手で運動音痴の私には、ダンスは全く向いていなかったのだった。

しかし始めたら辞められないという特性も持つ私は、いつかは上手くなるのかもといった曖昧な希望を胸に、苦手なベリーダンスを5年も続けていた。そして、多くの上級者に囲まれて「タコ踊り」などと揶揄されながら醜態を晒し続けていた。レッスン後の飲み会が唯一の救いだった。人間関係がとても良く楽しいダンススタジオだった。

そのスタジオに一緒に通っていたのが、エリさんだった。はっきり年齢を聞いたことがないが私より15歳ほど年上だった気がする。元アパレル販売員のエリさんは、人と違う垢抜けた服を着ており、お洒落で若く見えた。

笑顔から覗く八重歯が可愛くて、たまに両手を頬に当てるジェスチャーで喜びを表現する人だった。このジェスチャーのことを、ダンスの先生は絶賛していた。「両手が頬に行く人は、幸せな人なんだ、ベリーダンスにはそんな女性らしい表現力が必要なんだ」と。

私は感情表現のために両手を頬に当てたことなどは人生で一度もないが、エリさんのことは身近に感じていた。

まず、エリさんは、ダンスがなかなか上手くならなかった。ハイレベルなスタジオに入ってしまったと焦っていた。そんな時、スタジオの古株でありながら最もローレベルな私に目をつけたようだった。「私下手だからさ、かおちゃんと一緒だと安心するんだよ」そう言って飛び切りの笑顔を向けてくれた。無邪気なエリさんの言葉にやや傷つくものの、エリさんと「一緒」にされたことが嬉しかった。

それから、腰回りに余分な肉があった。これも私との共通点だった。「このスタジオで太っているのなんか、私とかおちゃんくらいだからさ」などと発言する。これにも私は傷ついていたが、どちらが早く痩せるか競争だと言いながら、一緒にたっぷりの酒を飲んでいた。

エリさんは「私たち」と表現するのが好きだった。私たちは、さまざまなダメなところで結ばれていた。

たまに、本音で発言した後に相手が傷ついていることを察してすかさずフォローしてくるのがエリさんのコミュニケーションスタイルだった。屈託ない笑顔と本音で突っ込んできて、ある程度相手を破壊してから反転優しく包み込み、そのギャップで相手を夢中にさせる。それがエリさんの戦略だったのかもしれない。

私はこの信頼がおける、愛嬌のある人生の先輩をとても好きになった。

ある日、二人で飲もうということになった。当時新婚であった私は夫との関係に悩み相当なストレスを抱えていた。長々と5時間は喋りまくっただろうか。エリさんは一瞬も私の話を聞き逃すことなく、相槌を打ちながら聞き入ってくれた。最後は訳がわからなくなりワイン4本を2人で開け、人生の夢などを語り締めくくった。

エリさんは言った。「あなたは賢いんだから、人生これからどうとでもなるよ。私も負けないから一緒に頑張ろう。人生は長いんだから」

エリさんが初めて私のことを真剣に褒めてくれた。ワインを飲み過ぎうっかり終電を逃しタクシー代に1万円もかけている時点で全く賢くはないのだが、その言葉は心底嬉しかった。

こうしてエリさんと私は強固な絆を持った仲間になった。「下手」なもの同士、励まし合いながらダンスを続けた。

エリさんと何度も一緒にショーや発表会に出た。
動画をみながら「端っこだったから目立たなくてよかったね」などと謎の振り返りをしては二人で笑った。

エリさんは可愛い人だった。
エリさんは好かれる人だった。
エリさんは酒好きだった。
エリさんは人好きだった。
エリさんは気遣いの人だった。
エリさんはいつも人の心に寄り添っていた。
エリさんは負けず嫌いだった。
エリさんは3年前に突然ダイエットしてスリムになった。
エリさんの眼はいつも恋をしているようだった。
エリさんは私は長生きすると言っていた。
エリさんは人生後半のプランや夢があった。

2022年3月7日、エリさんのLINEアカウントから、「夫です」と連絡がきた。よくわからない病名と妻の危篤を知らせるメッセージだった。

それを見て、危篤とは言っても
あの元気なエリさんの事だ、絶対復活する、
と私の心は即座に断定し、思考を停止した。

そしてエリさんは、
2022年3月8日朝に亡くなった。

レンサ球菌感染症だった。
発症後48時間ほどで亡くなってしまう劇症型の感染症だったそうだ。
それも、旦那さんからのLINEで知った。

エリさんは、2月の終わりに本当にコロナが落ち着いたら会おう、一緒に行きたい寿司屋があるから、と連絡をくれていた。私は、簡単なリアクションでそれに反応した。

え・・・

エリさんは、私と数週間後に会うんじゃなかったの?
なんで、急に死んだりするの?

訃報を見て、しばらく、音が聞こえなくなって、その後視界が白くなっていた。その後、涙が出るのに15分はかかったと思う。

人間、大きすぎるショックにはこうやって感覚をシャットダウンして対処するのかもしれない。

エリさんの人生は長くなかった。
それは本人を含め誰もが知らなかった事実だった。

後悔の波が押し寄せた。

なぜ、もっと早く会わなかったのだろう。
なぜ、あの時のLINEにもっと熱心に返信をしなかったのだろう。
なぜ、感謝を伝えなかったのだろう
なぜ、貴女が大好きだともっと言わなかったのだろう

思うたびに涙が出た。
呼吸が乱れ、息苦しくなった。

でも、まるで意味がなかった。
後悔は、自分を痛めつけるだけの行為だった。

エリさんはいつも笑っていた。
自分のために誰かが泣くなんて嫌がるに違いない。

そう思って、泣くのをやめようと思った。

泣くのをやめることは簡単だった。
思い出さないようにするのだ。
ひたすら屋外を散歩し、部屋を掃除し、
子供の世話に夢で集中した。
そうしてエリさんとの思い出を一旦、心にしまった。

思い出すのがとにかく辛い。
そんな時は、思い出から離れた方が心が保てるようだ。

いつか、エリさんとの日々を笑いながら語れるようになるまで
そっとそっと思い出を大事に磨いておく。

エリさん、待っていてね。





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