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3.11-人が死んだ話をされて返しに困ったときの気まずくない話題転換

3月11日。
僕にとってこの日は、日本に住む多くの人にとってのこの日と、持つ意味がちょっと違う。

東日本大震災のちょうど2年前、2009年の3月11日
父が死んだ。
当たり前だけど地震は関係ない。

先日十三回忌を済ませたこともあり、父本人やその喪失について考える時間が少しあった。

近しい人間の死を話題にするとき、多くの場合、喪失というイベントそのものや、生前の本人について語られる。
父はなぜ死んだのか、生前どんな人だったのか、という具合に。

ただ。
これは体験して思うことだけど、失うということの本質は喪失というイベントそのものよりも、その後、その人なしで生きてきた、生きていく時間にこそあるように思う。

僕の場合はそれが父だった。
父といえば経済的にも精神的にも家族の柱のような存在で、まさに「かけがえのない」、本来代替の効かない存在のはずで、だから失っては生きてはいけないはずだった。

でも蓋をあけてみれば、僕は父がいなければ生きていけない僕のまま、父がいない世界を生きてきた。


そうこうしているうちに、娘が生まれた。父がいないと生きていけないはずの僕自身が父になった。

娘が生まれて、親を親たらしめるのは子供の存在だと強く思う。
生物学上は生まれた瞬間に親なわけだから当たり前のようだけど、
実際は生まれたからってすぐ親になれるわけではなかった。
「〇〇ちゃんのお父さん」と呼ばれて、「〇〇の父です」と名乗るようになり、毎日ミルクをやりながら、抱っこして揺らしながら、おむつを換えながら、お風呂に入れながら、僕は父という特徴を獲得していく。

逆に言えば、子を子たらしめるものは親の存在なんだろう。
だから父親を失った僕はその瞬間から、少なくとも父の子ではなくなっていくプロセスを辿り始めたんだと思う。

父の子ではない、よしだけいすけにどんどんなっていく、ように感じた。

けど、12年間そのプロセスの中にあって、逆説的だけど、僕の中により強く父の存在を感じるようになったのは驚きだった。

誰に何を言われたわけでもないのに、父と同じように、つらい日々をランニングやサイクリングで乗り越えるようになった。辛い食べ物を食べて汗をかくのが好きになった。ちょっと言いすぎな冗談を言ってヒンシュクをかうのが快感になった。

父との思いでのすべてが、父を失った僕という文脈のもとに再編集され、実際は認知が変化しただけなのに、あたかも過去が改変したのかというレベルでいろんな物事が、以前とはちがう意味を持って思い出される。


だからここで急に題名に戻ると。

誰かが死んでしまった、というイベントの裏には、かならず「亡くなったひと無しで生きてきたその人自身の時間」というものがあり、この部分にこそ、その人の人生が詰まっていて。

僕はそういう話を誰かとしてみたいなと思った。

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