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できる方法と出来ない言い訳

思考のメカニズムがわかれば行動が変わる

「HOW思考型人間」と「WHY思考型人間」

困難な問題に直面したとき、たとえ同じ人であっても「できる方法」を考えるとき(HOW思考)と、「出来ない言い訳」を考えるとき(WHY思考)に無意識のうちに分かれてしまうようです。

どうすれば「HOW思考型人間」になれるのか、無意識のうちに思考を左右するメカニズムを仏教の教えに見つけました。仏教には人間の心理を紐解く魅力が備わっているようです。

仏教は面白い学問

AI(人工知能)の父と呼ばれるマサチューセッツ工科大学のマービン・ミンスキー教授は「釈迦は偉大な心理学者だ」と言って絶賛し、AIを実装する際に人間が持つ思考の特徴を仏教から見出そうとされていたそうです。

そして1985年の来日時、ジャーナリストの田原総一朗氏との対談において、ミンスキー教授は次のように語っています。

「人工知能をやろうとすれば、当然ながら人間の知能(インテリジェンス)それから心(マインド)の仕組み、働き方が標的(ターゲット)になり、とくに心の研究には仏典が比類なきテキストになる」
(田原総一朗 文春文庫 「生命戦争 脳・老化・バイオ文明」)

また理論物理学者のアインシュタイン教授も、以下、仏教に関するいくつかの名言を残されています。

「宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である」
「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である」

さらに加えて、ともに心理学者であり、深層心理の研究で有名なユング医師や、無意識研究のフロイト医師なども熱心に仏教を学ばれたそうです。
その理由を考えると、彼らが到達し提唱した無意識という概念は、仏教の世界では二千年も前から当たり前にように教えられていたという事実が、彼らの興味を掻き立てたのかも知れません。

心の世界 ~唯識の教え~

人は目や耳から入ってきた情報をどこで認識し、どのように整理・判断し、結果として行動につなげるのでしょう。

大乗仏教の流れを汲む思想に唯識という思想があり、この唯識のなかで人の記憶や思考のメカニズムが心の働きとして教えられています。唯識は難解な思想で有名らしいですが、平たく言えば仏教心理学と理解してください。

唯識においては、見たり聞いたり食したり、つまり五感を通じて入ってくる情報を認識し、その情報が持つ意味を解釈して、必要に応じて言葉や身振りで相手に伝え、最後に記憶するといった一連の働きは、すべて「心の世界」が行なうものだと教えています。

心の世界

例えば、テーブルの上に赤いリンゴが置いてあったと仮定します。
生まれて初めてリンゴを目にする人は、これをどのように認識するのか、簡単に心の働きを検証してみましょう(上図と以下の〇英文字は対応しています)。

 ・視覚から入ってくる赤くて丸いモノを認識する … Ⓐ
 ・過去の記憶を探り、赤くて丸いモノの記憶を探す … Ⓑ
 ・記憶に無いので赤くて丸いモノを見たという情報を一旦記憶する … Ⓓ
 ・興味が続けば匂いや手触りを確かめてみる … ⒸⒶ
 ・赤くて丸いに匂いや手触りを加えて、もう一度記憶に保存する … Ⓓ
 ・興味が続けば口に含んで味を確かめてみる … ⒸⒶ
 ・味や食べて問題ないことを含めて、もう一度記憶に保存する … Ⓓ

ざっとこんな流れでしょうか。
興味が続く間は、モノを認識するためにⒶとⒸの作業を何度か繰り返します。そして一度記憶してしまえば二回目以降のプロセスは単純です。この例だと、目にした情報と過去の記憶との照合が自動的になされ、瞬時にリンゴとして認識されるのです。

ところが、間違った情報が記憶された場合はどうなるでしょう。
例えば最初に食べたリンゴが腐っていてお腹をこわした時などは、「赤くて丸いモノ=腐っている=お腹をこわす」として記憶に保存され、この記憶が修正されるまでは、次回以降リンゴを目にしても手を伸ばす気になれません。
人間関係も同様で、『人は見た目が9割』という書籍がベストセラーになったように、最初の印象が後々まで糸を引くことが多々あるのです。

心の世界は八つの識で構成される

唯識における「心の世界」は、それぞれ独立した八つの識から構成されています。唯識では「心=識」と表現しますので、八つの心と同じ意味です。

この八つの識をコンピュータに例えると、「報を得る」センサーの役割として5種類、「認識・判断する」プロセッサの役割として1種類、「保管・取り出す」データベースの役割として2種類の合計8種類となります。

①~⑤識:5つの心がセンサーの役割を果たす

人は、外部からの情報を五感という5つのセンサー(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で感じ取ります。
唯識ではこの五感に対応して、5つの識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)が存在しています。

 ① 眼識(げんしき):色や形を見分ける心
 ② 耳識(にしき) :音を聞き分ける心
 ③ 鼻識(びしき) :匂いをかぎ分ける心
 ④ 舌識(ぜつしき):甘い、辛いなどの味を分ける心
 ⑤ 身識(しんしき):寒暖、痛いなどを感ずる心

⑥自覚的意識:認識し、咀嚼し、指令を出す

6番目の識は自覚的意識(単に意識とも言いますが、混乱を防ぐため自覚的意識と表現します)です。

自覚的意識の仕事は、モノを認識し、咀嚼し、指令を出すことです。
5つのセンサーから入ってきた情報は、必要に応じて過去の記憶を紐解きながら認識され、言葉で伝える、体で表現する、目で威嚇するなどの指令を出し、再度記憶として保管します。

簡易前五識

唯識では、情報を得る5つのセンサーと自覚的意識を合わせた6つの識を意識と呼びます(表層心理とも呼ばれます)。

記憶には自分なりの解釈が加わる

先ほどの「心の世界」れにおいて、モノを見たり匂いを嗅ぐ、また触ってみるといったⒶやⒸの行為は、人が意識して行ないます。これに対し、記憶として保存する、記憶を取り出すといったⒷやⒹの行為は意識せずに自然と行われます。

人の心の中には意識的に行なう行為と、無意識に行なわれる行為があり、それぞれの相互作用により思考や行動が左右されます。このように意識せずとも記憶として保管する、保管や取り出しの際にバイアスをかける、などの仕事を担うのが無意識(深層心理)の役割なのです。

ただ厄介なことに、記憶はその時々の自分の解釈が加わった形で無意識に保管されるので、たとえ同じモノを見たとしても、記憶を含んだ一人ひとりの認識はそれぞれに異なったものになります。もしかすると、異なる認識が価値観の相違となり、その違いが意思決定や命令につながってしまい、結果としていさかいを引き起こす原因になるのかも知れません。

⑧阿頼耶識:記憶のデータベース

無意識は、7番目と8番目の2つの識で構成されています。
7番目が今回のポイントとなる識なので、まずは記憶のデータベースの役割を果たす8番目の阿頼耶識(あらやしき)から説明します。

阿頼耶識には、おそらく(見たことが無いので)モノとモノに関連する事項がセットになって保管されていると思われます。例えば「牛乳」を記憶する際には、液体、飲み物、発酵する、白い、主に牛から出る、紙パックに入っている、瓶の場合もある、グラタンに利用する、こぼすと臭い、など様々な関連事項も一緒に保管されているのです。

コンピュータがデータに属性を付けて、複合的に検索できるようなイメージです。したがってミルクボーイはコーンフレークを探す際に、関連事項から攻めることができるのです!

ここまで、八種類の識のうち7つを学びました。
次は、本題であるHOW思考とWHY思考に大きく関与する7番目の識を学びましょう。

HOW思考とWHY思考 ~思考を左右する末那識~

HOW思考とは「どうすれば実現できるか」「何をすれば達成できるか」など方法論を考え、逆にWHY思考とは「なぜそれが出来ないのか」という言い訳を考える思考になります。

この差はどこから出てくるのでしょう?

⑦末那識:記憶の出し入れに作用する厄介者

先ほどまで説明した「心の世界」は、さほど難しいとは感じなかったのではないでしょうか。しかし最後の識が厄介者で、知らず知らずのうちに様々なところへ影響を及ぼします。

最後に紹介する7番目の識である末那識(まなしき)は、自己へ執着することがその主たる役割です。人には表層心理のなかに自他ともに認めるエゴイズム(自分勝手)と、深層心理には隠れたエゴイズムがあると言われます。前者は自覚的意識に存在し、後者が末那識に存在します。

末那識は、⑥番目の自覚的意識と⑧番目の阿頼耶識の間に存在し、記憶の出し入れを行なう際に、エゴイズムというバイアスの役割を果たします。つまり必要のない記憶は途中でポイしたり、取り出すときには事実を自分の都合の良いように捻じ曲げたりします。

ちなみに危険を察知すると、意識的に考える前に体が勝手に反応するのも、末那識が命令を出しているためです。

無意識含む

仏教では、表層心理における自覚的意識のわがままと、深層心理における自己執着という末那識の働きを抑えるために修行を行います。しかし多くの煩悩を有し、修行もしない我々にとって、末那識の働きを抑え込むことは至難の業だと思います。

ティモンディ高岸に学べ

末那識の働きを抑え込むことが困難ならば、その作用を逆手に取ってポジティブに向けてあげてはいかがでしょう。

ティモンディの高岸さんの「やればできる!」を応用すればいいのです!

問題に直面した際、たとえ自信が無くても、まずポジティブな言葉を口に出して宣言するだけで、その後の思考の流れが無意識に異なります。
末那識は自己執着(エゴイズム)が役割なので、「できる人に思われたい」「他人に感謝されたい」「やってあげたらお返しをしてほしい」などの心理が働き、実現に向けたHOW思考へと思考を誘導するのです。

順を追って説明しましょう。
・耳識や眼識などの前五識が問題を察知し、自覚的意識へ情報を送ります
・察知された情報は自覚的意識にて問題であると認識されます
 ※この時点でポジティブ宣言を行ないます(ここが大事)
・ポジティブ意識が内包された問題が末那識を経由して記憶されます
・問題が取り出される際、末那識のエゴイズムが作用を開始します
・エゴイズムにより「どうすれば実現できるのか(どうすれば他人に良く思われるのか)」の方法論を考えるよう、末那識から自覚的意識へ信号を送り続けます
・自覚的意識はできる方法を考え続けます(HOW思考)

思考の流れ

このように末那識から信号が出続けることにより、無意識のうちにHOW思考になるよう作用が働くのです。

間違っても、最初に問題を認識した段階で「無理!」と思わないようにしましょう。その瞬間に、末那識が「出来ない言い訳」を考えてしまうWHY思考型人間になってしまうので要注意です。

ビッグマウスは効果あり

HOW思考の最たる人といえばサッカーの本田圭佑選手や野球のイチロー選手が思い浮かびます。彼らは別名ビッグマウスとも呼ばれています。
当然、彼らは人知れず努力をされているのでしょうが、努力だけでは大きな成功は掴めなかったかも知れません。彼らはビッグマウスという手段で、自分を鼓舞することを理解されているのでしょう。

心理学者のミハイ・チクセントミハイ教授が提唱された、フローモデルによるメンタルステート図によると、努力の結果スキルレベルが上がり、合わせて挑戦レベルを上げることで、火事場のクソ力 や ゾーンに突入といったフロー状態を体験することができます。

この挑戦レベルを高めるために、末那識を刺激するのです。

フロー状態

以上、唯識を教材にして「心の世界」と末那識の効用について学びました。

スキルレベルの向上(努力)は前提条件になりますが、これを高めると同時に、ビッグマウスや有言実行などで末那識を刺激することが「HOW思考」の発動につながり、結果として成功への近道となるのです。

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