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自分の事をごまかすのが得意な話

はろー!杉本渓です!
最近アートで活動する名前をつけようかと目論んでいます。

ジェーン・スーさんみたいに
中華系外国人のような雰囲気の名前が良いなぁ
と友人に相談したところ、

「Channe K (チャン・ケイ)は?」
と発案され、あー良いかもしれない…!
と血迷っている今日この頃。

良い候補があればぜひ教えてください。

さてさて、本日は今まで私が生存戦略として培ってきた「ごまかしの術」の話。

必殺ごまかしの術

私は自分の気持ちをなかったことにするのが得意である。

なぜなら、沸き起こった感情を直視してしまうとレーザービームを浴びたように焼けこげてしまうから。

必要以上に傷つくことを恐れていたんだと思う。

それは幼少期の母とのコミュニケーションで積み上げてきた経験から、と先日発覚したのだけど。

意見を否定されること=自分を否定された
と感じてしまうため、他人のことはまず否定しないようにしてきた。

それと同時に、本当は否定したい自分の気持ちを押し入れのおく〜の奥の方にグゥーと入れ込むのだ。
だってさ、そうしないと友だちいなくなっちゃうじゃん。

幼い頃から人と一緒にいることが好きだった私にとって、人が周りから離れていくことは死を意味していた。

死なないために自分<他人
と、自然と王座を譲ってきたのである。

好きな男の子にフラれたけど、無傷のふりをした

小学生の頃、とっても好きな男の子がいた。

当時から感情をあまり出さず、察して欲しい女だった私はなるべく態度に出さないように
目だけ合わせる、みたいな謎のアプローチ方法をとっていた。

確か髪の毛ツヤツヤにするとか、綺麗だなって思ってもらえるように肌に化粧水塗るなどの謎の方向性の努力をしてた。笑

私の好意は全然相手に気づかれなかったんだろう。

見るも無惨にフラれてしまったのだけど、
相手も相手で私のクラスにやってきて皆んながいる前で「ごめん」とだけ告げ、スタスタと帰っていったのだ。

私は手紙で伝えるスタイルにしたのですが、
小学生の頃のこのスタイルは地獄。
絶対に市中回し読みの刑がなされ、
学年全員がその内容を知ることとなる。

ショックを受ける私。
だがその態度を表に出しては告白したことがみんなにバレてしまう。。
もう皆んな知ってるんだけど、たぶん。

明るく陽気に「あいつ何言ってんだろね〜へへへ〜」とか何とか一切の傷を受けていない態度を取った私に、友人は言い放った。

「フラれてそんな態度取れるなんて、本当に好きじゃなかったんじゃないの?」

そんなわけあるか〜いばかやろう。

大のショックですよ。
世紀最大のショックでしたよ。

でも、それを表立って出したところで
フラれてしまった事実は変わらないし、
友人に内緒で告白した事がバレて恥ずかしい
みたいなのを隠したくて仕方なかった。

自分の感情を隠すとこんなことが起こるよ

小学生の頃からそんなかんじだったので
友人と派手に喧嘩をすることもないし、
親にも対しても反抗期はあんまりなかった。

友人関係では、やりたくないけど友人に誘われたバイトを断れないので一緒に始め、
通うのが大変な場所のバイトにわざわざ行っていたり、NOと言わないので所謂都合の良いやつだったと思う。

男にも呼び出されればすぐ行くしさ。

いま考えると「自分」というものが一切なかった。

やりたい事や目標も、周りから言葉を借りて自分のものにしていた。

ある時友人に「本当にけいは私の話聞いてくれるよね。」と言われた。

この言葉に珍しく自分の中で猛烈に反発が生まれて、
「いや、話し聞きたいわけじゃないし、
あんたの話いつもしょーもなと思って聞いてたから何も意見言わないだけだよ。」
と喉まで出かかったけど、言わずにひっこめたことがあった。

自分の意見を言わないこと=相手にとって良いこと
という経験を幼い頃から積んできたためだった。

それからその友人とは男関係でもめて、
一切連絡を取らなくなったのだけど。

自分が男取っといてなんだけど、
起こるべくして起こった出来事だったのかしら
なんて思った。
私が初めて彼女に対して明らかな意思表示をした出来事だった。

そうして奪った男がこれまたとんでもないモラハラ男だったのだが、それはまた別の話で書きましょうか。

自分の思いを伝えることは自分を守ること

これまで自分と他人との境界線を引くことが
とても曖昧になっていた私。

他人の感情が自分のものだと、
気が付かずに思っていたときもあった。
そしてそれが正しい生き方だと思っていた。

自分よりも相手を尊重することが良い行いだと信じきっていた。

しかし、そのコミュニケーションの形だと
どうやら不具合が起こるようだ。

20代の頃には出なかった身体の反応が
度々出るようになった。
帯状疱疹や円形脱毛症を繰り返したり、
肋間神経痛やら胃痛が頻繁に起こる。

これらの症状はどれも
「自分の意思や感情を押し殺し、他人や社会常識に則って動きすぎているとき」に発生するようだ。

相手のことを守りすぎて、自分が崩れては元も子もないですよ〜
と身体が教えてくれているのだろうか。

この症状を繰り返さないためにも
「自分」を意識して生きるようになった。

自分を意識するとは

何かを始めるときについ他人の目線が気になってしまい、本当のことを隠してしまいがち。

他人の目線を気にする前に
「自分は本当はどう感じ、思っているのだろう?」
をゆったり、まったりと味わうだけで大分違う。

さらに私は自分でも掴みきれていない感情や、心の状態を絵で表すようになった。

そうすると不思議と「けいちゃんはどう思う?どんな風に考えてる?」
と聞いてくれる人たちが周りに増えたのである。

これまた世紀最大の発見。
意思表示をすると応えてくれる人がいるのだ。
離れていく人もいるかもしれないけれど、
同時に「そのけいちゃんイイネ!」と言ってくれる人もいた。

「絵で自分を表現できるならば、
今度は誰もが分かるように言葉と態度で示してごらんなさい。今のあなたならば出来るでしょう。」

とね、見えない誰かが囁いているかのように
意思表示を求められる頻度が高まっている最近。

いちいち友人に相談しながら、いちいちいじけて、傷つくけど立ち上がる。
それの繰り返し。
まるで自分の意思表示をする練習をさせられているような。

なかなかハードな最近だけれど、
「私」を表現すると見たい世界や会いたい人たちがグッと近づいたのも事実で。

伝えたいことは伝えないとわからない。
理解し合う事はできないけれど、
想い合うことはできる。

今は触れ合えなくても、いつか巡る時もくるかもしれない。
その時まで私は自由にのびのびさせてもらおうと思うよ。

昔とは少し?かなり?変わった私ですが、
これからもどうぞ宜しくお願いします。

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