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トーマスが実写からCGアニメになって失われたもの

アマプラで機関車トーマスの初期作品が観れることを知って感激した。

トーマスと言えば最近はCGアニメで放映されているが、30代の父親から見たらこの初期の実写版というか、特撮版というか、人形劇版のトーマスこそがトーマスなのだ。

もちろん息子のために見せたのだが、CGトーマスを観たときと明らかに反応が違った。

うちにはトーマスのプラレールがあるのだが、その車両を持ってきて「いっしょいっしょ」と言ったのだ。これはCGトーマスのときは言わなかったことだ。もちろんCGトーマスもプラレールトーマスと同じトーマスという認識はあるとは思うが、実写版の人形としてのトーマスがリアルにプラレールと一緒だという感覚を持ったのだろう。トーマス鑑賞後はプラレールで遊びたがったのでレールを敷いて遊んだ。

つまり、子供にとってCGトーマスと実写トーマスとでは見え方が異なっている。もちろん大人もそうなのだが、それに気づいていないからCGトーマスなんかを作ったのだろう。

何が違うのかというと、実写トーマスは絵本や紙芝居、そしておもちゃで遊んでいる感覚を得られるのだ。誰しも子供のころはおもちゃを片手にセリフを言ったり、「ドーン」と効果音を言いながら、架空の「劇」などをして、おもちゃに命を吹き込んで遊ぶだろう。それが進歩すると模型を舞台に遊ぶことになる。よりリアルなジオラマを作り、模型を置き、そこにあるストーリーを想像する。大人になっても好きな人が多いのも頷ける。

実写トーマスはまさにそれなのだ。

さらに、想像力の補助となるのがナレーションだ。所詮は模型を動かしているだけの実写トーマスは表情の変化や誰が話しているのか、状況がどいうことになっているのかを画面だけから読み取ることは難しい。人形も棒立ちだ。

だからこそ生きる森本レオのナレーション。これは極めて絵本的だ。子供が自らおもちゃに「設定」を作って命を吹き込んで遊ぶときの感覚の手助けをしてやっている。つまり、想像力が養われ、そして想像力を楽しめるのが実写版トーマスなのだ。

劇中に登場する石や泥のリアルな質感はそれらの劇のリアルさを増長させ、子供たちの日常にある泥や石の質感を呼び起こさせる。

この泥はどうなっているんだろう。

トーマスが壊れちゃう。

本物だ。うちにあるトーマスと同じだ。

そんなことを考えてしまうのがトーマスだ。日常と繋がっていて、その先の世界を想像して楽しむのがトーマスなのだ。

しかしCGトーマスではそれらがない。お膳立てされたストーリーにはわかりやすさはあるが、それだけだ。子供が普段匂いを嗅いだり、触ったり、見たりしてる質感と繋がることは無く、現実世界とリンクしない単なるアニメという別世界だ。

どうかジオラマ実写トーマスが復活してほしい。


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