立ち上げについて

今回は立ち上げの時の話をつらつらと書いてみたいと思います。

我々は2006年に団体を立ち上げました。
「大学時代一緒に音楽をやって来た、気心の知れた仲間たちで社会人になっても合奏をやりたい」という超絶ありきたりな動機の元に立ち上げた感じです。
なんら高尚な思いは無かったです。

社会人になっても続けたい、という思いは大学生の頃からありました。
そう思えるぐらい、楽器を弾くことや、何より団体活動をする中での同期・先輩・後輩との繋がりが大事で、とても楽しくて、結果私の代は、Dolaトップと私が大学に5年通うことになりました(なんの話?)。
Dolaトップは色々ありましたが今は痛風持ちの公務員としてギリギリ勤めてますし、私も「あの業界ではあの会社が一番潰れる可能性が高い」と言われている大企業にどうにか勤めてます。
まぁだからなんとかなりますよ、人生(なってる?)。最後はどうなるか知らんけど。
その当時は、「モラトリアム」という言葉が流行っていて、私の代付近の5年生輩出割合は中大マンクラの歴史の中でも高い方だったんじゃないかと思います。(だからなんの話?)

さて、我々の団体は、立ち上げ時から今までずっと、音楽監督は高杉健人(たかすぎけんと)さんに務めていただいてます。中大マンクラOBで、今はプロのコントラバシストとして活躍されています。
今は中大マンクラ(CUMC)のコーチもされていて、現役生との年も離れつつあるので「泣く子も黙る」ぐらいな雰囲気になってきてますが、私からしたら

・ラーメンとプロレスとキン肉マンとピアソラが好きで、
・コントラバスのプロで、
・ただのイケメン
ていうだけですけどね(申し分ないスペック!)。

高杉さんと私の関係性ですが、私が学年1つ下になります。
大学時、
高杉さん:4年生、チーフコンダクター
私:3年生、サブコンダクター
という感じですね。

高杉さんは中大在学中にプロを目指すことを決めて、そのための勉強もされていました。
私はその頃、練習終わったら後輩の家で朝まで飲んでゲームしていました。練習が週3だから、週3オールってことです。
人生のターニングポイントが複数あるとしたら一つはここでしょうね。
まぁでも高杉さんと二人で、お互いが持ってる曲のスコアを開いて検討したり@白木屋、高杉さんが持ってる曲を自分が合奏(合奏を交換)したり、一緒にチョン・ミュンフン+桐朋音大オケのリハ見に行った学生時代の時間ってのは、振り返るといい思い出だなぁと思ったりします。

高杉さんは晴れて東京藝術大学に合格されて、いよいよプロへの道を歩み始められたので、
音楽監督になってもらって団体を立ち上げる、ってのは比較的自然な流れでした。

(続く)

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