幾原邦彦監督のボンソワール幾原改名宣言について整理する

 一部で批判されていた件について、タイトル通り「整理する」ための記事です。客観的な整理に努めますが、ある程度私自身の解釈が入るのはご承知おきください。(2022.4.5追記:問題の本質が見えなくなるため、私が過剰と判断した非難、擁護ともにこの記事では扱いません。また、公開された情報はすべて事実として扱います。)
 私自身は幾原監督については可もなく不可もなく、ピンドラは面白かった(歌が好きだった)けどユリ熊嵐は1話のエロ匂わせ描写が無理で見てなくて、さらざんまいもそう思ったんだけど家族が見てたから一緒に全話見た、話は面白かった、くらいのオタクです。
 ただ、昔、輪るピングドラムがめっぽう好きなレズビアンの友達がいて、似たようなことでショック受けてたなあと思い出してこの件を追いかけていた、という感じです。
 なお、幾原邦彦/ボンソワール幾原さんについて、この記事では「幾原監督」と表記します。
(2023.7.6追記:引用したツイートが削除されているのを確認しました。ご本人の本意でない、また悪意ある再拡散をされる可能性は常にあるため、私自身は削除に関して思うところはありません。ただ、過去にあった出来事の履歴として、今のところこの記事は必要と判断しているのでこのまま残しておきます。将来的に記事自体を非公開とする可能性はあります、ご了承ください。)

改名宣言そのものについて

 まず、発端になった3/30の改名お知らせについてですが、現在は謝罪の上削除されているので概要だけ説明します。

 内容としては、「改名します」「今夜0時に発表します」というものでした。これだけなら全く問題なかったと思います。
 しかし、それに続いて「自分に正直に生きる」「色々なものを失うことになると思いますが覚悟の上」という文章があり、何らかの重大なカミングアウトを匂わせるものになっていました。本気なのか冗談なのかは分からないが、カミングアウトを匂わせる文章だったというのが一つ目のポイントです。

 奇しくも改名を予告している「今夜0時」つまり3月31日は、国際トランスジェンダー認知の日(国際トランスジェンダー可視化の日)でした。

 このため、一部では「男性名を捨てて、自分はトランスジェンダーだとカミングアウトするんじゃないか?」という予想があったわけです。

 一方で、幾原監督はこれまでも作品ごとに筆名を使い分けてきたという経歴があります。イクニチャウダー(輪るピングドラム)、イクニゴマモナカ(ユリ熊嵐)、イクニラッパー(さらざんまい)。このため、何か新作の情報公開があるんじゃないか? という予想もあったようです。

 そして、予告通り3/31の0時、「ボンソワール幾原」という名前が発表されました。(2022.4.5追記:その際、名前の由来等詳しい説明はありませんでした。これに関して、のちに発表される音楽ユニットの相方、ボンジュール鈴木さんとの名前の相似性については指摘されていたようです。)私はこの件について後追いのため、リアルタイムでどんな反応だったのかは分かりません。ただ、どうもこの時点で、カミングアウトを予想していた、あるいは元々カミングアウト文脈を利用した悪ふざけをされることを懸念していた層から、批判はされていたようです。重大発表を匂わせておいて、どういう意図の改名なのか、どういう覚悟でこの改名に踏み切ったのか(あるいは単なる冗談だったのか)がきちんと説明されていないせいで、マイノリティ方面からはカミングアウトになぞらえた悪ふざけに見える、もしそうなら無神経ではないかと批判されたわけです。
 その一方で、好意的なファンにもどう受け止めればいいのか分からないと困惑されたようです。監督が大変な状況に立つのなら味方でありたい、というファン心理の持って行き場がないというファンの戸惑いも、一つの焦点だと思います。

 そして夕方、ボンソワール幾原名義による音楽ユニットが発表されました。既に批判していた層は当然怒ります。マーケティング目的の釣りかよ! と。そうでなくても、重大告白を匂わせつつの肩透かしに戸惑っていた好意的なファンも、この企画に純粋に喜ぶのは難しかったのではないかと思います。

 その後、4/2、輪るピングドラムのクラファン特典オンライン舞台挨拶ののち、該当ツイートの削除と謝罪が行われました。ツリーの冒頭のみ引用します。

 詳細と言いつつトランスの文脈について触れられていないので、逆になんのことか分からず戸惑ったファンも多かったかと思います。しかし、この件について追いかけてきた私の率直な感想は、「知りたいことが全部書かれていてすっきりした、謝罪があってほっとした」というものでした。この文面について瑕疵を批判する向きもありますが、個人的には「今回の件で傷ついた人たち」を念頭にして書かれた文章という意味で、Twitterという限られた媒体でなら及第点だと思っています。
 その上で、やはり混乱されている方が存在する現状に、何か整理しておきたいなと思ってこんな記事を公開しています。

論点整理

幾原監督は3/31がトランスジェンダー認知の日、可視化の日だと知らなかった?

(2022.4.11追記:謝罪ツイートでの“日付に情報解禁日以外の意味は無い”という部分を批判への返事として読み込んでしまい、「知らなかった」という意味だと無意識に思い込んでしまっていましたが、字面でそうは言っていないことに気づいたのでタイトルに「?」を追加しました。失礼しました。)
 これについて、今回の件を批判している層からも、知らない可能性は検討されてはいました(そういった方は、苦言を呈しながらも判断を保留している状態でした)。ただ、日付の意味を知らなかったとしても、この文章がカミングアウトを匂わせる文面だとは分かるはずだ、それを宣伝に利用されると傷つく人間もいると分かってほしいというのが大方の感情かと思います。そういう思いを持つのは、私は無理もないことだと思います。記念日について知らないファンにも、「色々なものを失うことになる」という文面にハラハラさせられた方は多かったと思います。
 また、明確な説明が無かったことから、「多くを語りたくないだけで、何らかの真剣なカミングアウトなのでは?」という可能性も検討されていました。(2022.4.7追記:これに関しては今でも真偽は不明と言えます。しかし、憶測以上のことができないため、この記事ではこれ以上触れません。)この点から、「きちんと説明しろと言うのも、カミングアウトの無理強いに当たってしまう可能性があるのでは?」という声もありました。このため、「きちんと判断するためにも詳しい事が知りたいが、説明しろと強く言えない」という形で苦しんでいるファンも存在しました。
 改名と企画の発表の仕方を、即座にクィア・ベイティングとラベリングし、怒りを表明するのは早まったことかもしれません。しかし、幾原監督にクィアに関心のあるファン、もっと言えばLGBTQ当事者のファンも多いという土壌は、監督自身が同性愛要素を戦略的に作品に取り入れてきた結果です。そういう意味で、「監督に悪気はなかったから悪くない」とは私は言えないと思います。

歌詞の引用だと分かってもらえるかどうか

 監督が3/31がトランスジェンダー認知の日だと知らなかったように、批判していた層がおそらく知らなかった、あるいは見落としていた点がこちらです。
 監督が「自分に正直に生きます」その他の言い回しを使ったのは、リリース予定のアルバムに収録されている「君の青春は輝いているか」の歌詞を引用(原文ママではないので、厳密には本歌取り)したものでした。

 このため、監督が自分のツイートに問題がないと考えていた理由には、おそらく、歌詞の本歌取りだと言うことは察せる人がいるだろうし、アルバムの収録リストを公開すれば答え合わせとしては十分というつもりだったのではないかなと私は思います。
 ただ、私の場合ですが、そもそもこの歌を知りませんでした。さらに各所で「メタルダー」という単語を見かけて、この歌詞を見ても、やはり「歌にかこつけてカミングアウトしようとしたのか…?」という可能性が消し切れずに悩みました。
 その一方、おそらくですが、監督にとっては「歌詞の引用」という意識しかなく、文面の一般的な印象にまで思考が回っていなかったというのも、普通の人間なら、というかオタクならやりがちなミスかなと思います。皆さんも見たことがありませんか? ファンが「素晴らしい」という意味のつもりで「無理」とか「ヤバイ」という感想を投げてしまい、傷ついた作家さんを。

監督の別名義について

 そもそもの改名の話です。ピンドラもさらざんまいも全話見ている私ですが、その程度では実は幾原監督が「イクニ」の愛称で呼ばれていること、「イクニチャウダー」や「イクニラッパー」といった文字列が、監督の別名義だということは今回の件で調べるまで知りませんでした。
 
そんなわけで、同性愛を取り扱っているからトランスの記念日を知っているはず! が成り立たないように、幾原監督作品を見ているなら今回の改名(厳密には新名義の発表)がいつものことだと分かるはず! というのも成り立たないと思います。スタッフリストまでチェックするのは相当のオタクです。まして、幾原監督作品のファンではない人のところ(私など)にまで飛び火してしまっていたので、この件が見落とされていたのは仕方ないかなと思います。

まとめ

 監督の改名予告~音楽ユニット発表までの流れを読み解くためには、思わせぶりな文面が歌詞の本歌取りだと気づき、「改名」の実態が「新分野への挑戦に伴う新名義の発表」だと理解する必要があったわけですが、Twitterという環境ではこれはハードルが高かったと思います。個人的には、100人規模の芝居小屋でやってようやく通じるかどうかの身内ネタだと思います。
 そういった背景で、一連の流れに一部の方が傷ついたのは、一言でいえば不幸な事故です。けれど、それは交通事故で例えれば、死角に人がいたことに気づかず、誤って轢いてしまったということです。注意して回避することは不可能ではなかったと思います。
 その事故に対して曲がりなりにも経緯を説明し、謝罪されたことは、私は十分に誠実な対応だったと感じます。少なくとも、今回の件で傷つき、あるいは怒ったファンのことを、ファンとして扱ってくれたと私は思いました。
 幾原監督にとっては青天の霹靂で、ご自身もショックだったと思います。その上で、傷ついた方々と人として向き合おうとしてくださったことに、私が言うことでもないかもしれませんが、感謝します。

余談
 実はこの記事は、謝罪が出る前に論点整理のために書いていました。しかし、昨日ちょうど公開しようとした矢先にツイートが削除されていることに気づき、アカウントを確認したところご本人からの謝罪がありました。 

 つまり、この謝罪までにかかった時間は、私が3/31に本件を知り、事態を把握して、公開に耐えうると思える文章を書くのにかかった時間とぴったり同じなので、「何が起こっているのか」を把握するためにこれだけの時間がかかった、というのはよくわかります。お疲れさまでした。
2022.4.5追伸:その後も私は記事の追記や修正をしているので、完璧な文章を書くのに足りる時間では全然ないと思います。本当に。

追記

記事の内容について、いくつかご指摘をいただいたので補足します。

「改名予告」は初めて(2022.4.3追記)

名義の使い分け自体は幾原監督が今までもしてきたことですが、わざわざ改名します(名義を変えます)と予告したのは初めてということでした。監督自身は音楽活動という今までとは違う分野への進出ということでこれまで以上の意気込みがあったかと思いますが、それについて「改名」というミスリードを誘う言葉を使ったことは、カミングアウトや「改名」という行為をバカにしていると言われても仕方ないと思います。

謝罪が劇場版「輪るピングドラム」のオンライン舞台挨拶の後になったこと(2022.4.3追記)

事態を把握して謝罪するまでに時間がかかったことは、余談にも書いたように無理もなかったとは思います。ただ、数日後に映画の舞台挨拶が控えているタイミングで、別活動の宣伝のために思わせぶりな文言を用いて混乱を招いたことは事実です。「監督作品が好きだからこそちゃんと説明してほしい」と思っていたファンにとっては、輪るピングドラムオンライン舞台挨拶までに、あるいは舞台挨拶でこの件についての説明や謝罪が無かったことは、深く傷つくことだったということは追記させていただきます。それは「監督の作品を純粋に楽しみたい」と思えばこそだからです。

Twitterアカウント名の変更→元に戻ったことで、「改名」が誇張表現になった(2022.4.6追記)

3/31の段階では、Twitterのアカウント名も「ボンソワール幾原」に変更され、本当にすべての名義を変えるかのように見える状態だったことも、「改名に関する覚悟と決意はどこまで本気なのか」が分からなくなる一因でした。4/2の謝罪時に「今後の音楽活動にて使用するものとさせてください」という説明があり、アカウント名は「幾原邦彦」に戻りました。

エイプリルフール前日だったことの影響(2022.4.6追記)

3/31がトランスジェンダー認知の日だったせいで混乱に拍車がかかったことは本文の通りですが、同時に4/1エイプリルフールの前日でもあっため、リプライ等による「一日早いエイプリルフールですか?」という茶化しやそれに対するクィア界隈からの批判があったり、「嘘ではないことを強調するために前日に発表したのでは?」という憶測を呼ぶなど、日付によって混乱が大きくなったという面は非常に大きいです。