BS時代劇『大富豪同心3』第8話レビュー:それぞれの戦い方
人の上に立つ者の資質とは
坂田(新藤栄作)は金の力で尾張大納言を将軍として担ぎ出し、政を担おうと虎視眈々。
狙い通り、秋月ノ局(前田美波里)は上州屋が襲われたことで香住屋へ出資の検討を始めた。これを引き金に資金が一気に尾張に流れ込むことになれば、江戸の財政は破綻の一途だ。
弱り切った甘利(松本幸四郎)が卯之吉(中村隼人)と徳右衛門(竜雷太)に得策はないか尋ねると、卯之吉から返ってきたのは意外な提案。将軍自らが頼母子講の講元となれば、商人たちが安心して金を預けることができると言うのだ。
甘利も徳右衛門もアイデア自体には感心し賛成するものの、将軍・家政(尾上松也)に納得してもらえるかには不安を示す。
しかし、卯之吉は発想もやり方も実に軽やか。自分と瓜二つな将軍の弟君・幸千代(中村隼人)を装って江戸城に入り、家政に会うことに成功する。周りが勘違いし、奥まで通されたのだと悪びれる様子もないのが、とても卯之吉らしい。
自分が講元になることはさておき、家政が理解できないのはなぜ卯之吉たちがそこまで甘利の力になろうとするのかということ。
卯之吉はかつて徳右衛門が自分に語った理由を家政に話す。甘利は凡人。しかしわからぬことは周りに尋ね、皆があれこれと知恵を出し合い、最後には正しい答えに辿り着く。一方の坂田は己の知恵に頼るあまり何でも一人で決めてしまう。それは時に大きな過ちを生むかもしれない。加えて甘利は自分のことより天下のこと、どうすれば将軍家が安泰でいられるかばかりを考えている人物なのだと。
ならば家政にとって、どちらの意見に耳を傾けるべきかは明白である。
家政が講元になると決まれば、卯之吉は秋月ノ局へのリークも抜かりない。再び幸千代のフリをして接待し儲け話を吹き込めば、幕府の後ろ盾がある出資先に秋月ノ局は目を輝かせる。
秋月ノ局が鞍替えしたことで江戸の商人たちはにわかに色めき立ち、貸付金を持参して三国屋へ殺到する。オセロの色が一気に塗り替えられるような、鮮やかな形勢逆転。
そんな逆転劇の裏側でも甘利はしっかりと(?)抜けている。屋敷に現れた幸千代を卯之吉と勘違いし𠮟り飛ばす甘利。家政は一目で幸千代と卯之吉の区別をつけたのに、である。そういうところが憎めないのだが、江戸の一大事において頼りないことには間違いない。幸千代はしばらく甘利の屋敷に留まり江戸を守るという。
濱島の浄化と最期
風向きが変わり、尾張の負けがほぼ確定したことで尾張家の家臣・篠田一馬(白石朋也)は寝返り、帳簿と証文を坂田の悪事の証拠として甘利の元に持ち込む。
香住屋が集めた金と払った利分、尾張側の金の動きなどをまとめた元帳と、
世直し衆が奪った金額を示した奉行所の留め書き双方の金額を付き合わせれば、坂田と世直し衆の関係を示すことができる……。
徳右衛門はここからは商人の戦いだと、検算を引き受ける。
並行して、家政の命で三国屋に集まった金を江戸城の御金蔵に運び入れるところを世直し衆に襲わせたところを捕らえようとする作戦が走る。
思惑通り、世直し衆を率いる濱島(古川雄輝)は三国屋の金を奪うことを決める。自分が盗みを働くのは最後、その金で尾張大納言が橋を作るならば死んでもいいと言う濱島。民衆のためと言いながらしかし、「ずっと側にいてほしい」と美鈴(新川優愛)の手を手を掴む濱島は、本当に死んでもいいなどと思っているのだろうか。
世直し衆との決戦の日。「まるで戦場に行く気持ちでげす」とこぼす銀八(石井正則)の言葉は決して間違っていない。これは「誰かの幸せのために」戦う者たちと「自分の利益のために」戦う者たちの戦いだ。村田(池内博之)(南の狂犬!)が、源之丞(石黒英雄)が、三右衛門(渡辺いっけい)が、水谷(村田雄浩)が、喜七(武田幸三)が世直し衆に立ち向かう姿は強く、美しい。
これまで遊びのように人を斬って来た清少将(辻本祐樹)。だが幸千代は清少将の必死さを引き出すほどに手強く、一度は命を救われた清少将の息の根を今度こそ止めるという意思が感じられた。幸千代はついに清少将を斬る。
混乱の中、再会を果たす卯之吉と美鈴。卯之吉を斬ろうと迫る美鈴の前で、卯之吉は例によって失っていた意識を取り戻す。前回は美鈴に斬られそうになっても気絶せず、今回は美鈴と向き合って目を覚ます対比が面白い。目を覚ますのは卯之吉だけではない。本当の名前を呼ばれて記憶を取り戻し、涙を流す美鈴。お互いがお互いに童話の中の王子と姫のように眠りから目覚めさせる存在となっている2人は、やはり運命の相手同士のようだ。
しかし、卯之吉と美鈴の背後から虫の息の清少将が最後の力を振り絞って襲い掛かる。その間に入り、身を挺して2人を守ったのは濱島だった。
母のために誓った世直しで、弱い者たちを救うはずだった濱島。「大事を為すためには小を切り捨てる」と言った濱島は下総で堤を壊し、上流の水田を犠牲にした。でも濱島が本当に切り捨てたのは、自分自身の正義。目的の達成のためにはその道のりが悪であっても目をつぶってしまった。「大事を為す」という大義名分の下に一度罪を犯してしまえば、もう善悪の区別は正しくできなくなる。
「母のため」さえいつしか「自分のため」にすり替わる。濱島は亡き母を思わせる美鈴と一緒にいたいと、美鈴の記憶が戻らぬよう卯之吉を仇敵と思い込ませ、母の名で呼んだ。重ねられていく過ち。
それでも誰もが幸せに生きられる江戸にしたいという本来の願いは濱島の中から失われてはいなかった。卯之吉と美鈴の姿を見て、自分が間違っていたと気付いた濱島。悲しい最期ではあったけれど、本来の濱島に戻り、望みを卯之吉に託すことができたことは救いだ。
誰にでも個性を活かして輝ける場所がある
世直し衆との戦いは三国屋でも続いていた。膨大な帳簿の確認が終わり、香住屋から坂田への支払いと世直し衆によって奪われた金額、時期が一致。これで坂田の悪事が証明されたわけである。彼らは刀ではなく、算盤で戦う。それそれがそれぞれの持ち場で強みを発揮する総力戦。急かす沢田(小沢仁志)を一蹴する徳右衛門の迫力、商人としてのプライドには痺れた。
家政の下した判断は、坂田は切腹、尾張徳川家は罰さず。六十二万石を改易し、数多くの浪人が溢れかえり結果的に民衆の生活を圧迫することを避けた形となった。
濱島が遺した火除け地を橋で結ぶ策は、卯之吉によって家政に進言され、三国屋のバックアップで推し進められることに。
家政を講元とした頼母子講により安心して商いができる環境も整い、江戸には明るい兆しが見えて来ていた。
それにしても、この物語の登場人物には完璧な人がいない(例外は菊野くらい?)。甘利は凡人呼ばわり、徳右衛門は強欲ジジイ扱い、沢田はおカネ(若村麻由美)に弱みを握られている。美鈴の家事の腕は致命的。なんといっても主役の卯之吉が肝心な時に気絶してしまう。
でも、そんな卯之吉を守るのは剣豪の美鈴だ。そして守られる卯之吉は美鈴に代わって美味しい味噌汁を作ることができる。恋人である由利之丞(浅香航大)にまで悪党顔と言われる水谷は、面構えを活かして世直し衆に潜入する。武芸で挑む者がいれば、商才で勝負する者もいる。凸凹な個性が集まり、それぞれが長所を発揮して助け合う。
そういう江戸の人々の生き様や絆は、さまざまな生きづらさを抱えた現代の私たちをそのままでいいのだと肯定し、前に進む力をくれるのだ。
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