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煩悩はなぜ108か

煩悩というと、欲や執着、怒りといった心を乱すもののことをいいます。

除夜の鐘などでは、108回鐘を鳴らすことで
煩悩を打ち破るとされます。

すなわち、百八煩悩というように
煩悩の数は108あるとされます。

ではなぜ108個の煩悩があるとされるのでしょうか。

いくつかの説があるとされますが
そのうちの1つを紹介します。

煩悩と同じような意味の言葉として
随眠(ずいめん、ずいみん)というものがあります。

「悪いものへの傾向」や「悪い習性」
「表面に現れる煩悩に対して表面化していない煩悩」
といった説明がされる言葉です。

この随眠が98種あるとされまして
これを九十八随眠といいます。

そこに十纏(じってん)という10種の煩悩を
加えて108となったというのです。

九十八随眠は、六随眠がもとになっています。

貪・瞋・慢・無明・見・疑の6つです。

貪(とん)は、欲張る心
瞋(しん)は、怒りの心
慢(まん)は、おごった心
無明(むみょう)は、無知なこと
見(けん)は、間違ったものの見方
疑(ぎ)は、疑う心

これが基本となり、それが様々に派生することで
98つの随眠(煩悩)となり、そこに十纏が加わります。

十纏とは、

無慚(むざん)  自分の心に照らして反省しないこと
無愧(むき)   世間に照らして反省しないこと
嫉(しつ)    嫉妬すること
慳(けん)    物惜しみすること
掉挙(じょうこ) 心が不安定になること
悪作(おさ)   後悔してしまうこと
惛沈(こんじん) ぼうっとして重たいこと
睡眠(すいめん) 眠気がある時のように心が不自由なこと  
忿(ふん)    苛立つこと
覆(ふく)    自分の罪を隠すこと

心を惑わすものを漠然と
「煩悩」と表現するわけですが、
その中身をごく簡単に示すと以上のようになります。

欲張りの心や、
怒りの感情をはじめ慢心や誤った見方、
さらには、
自らの過ちに気づきそれを反省しないこと
あるいは、心の不安定、心身が重たいこと

などの、より具体的な内容が示されていることが
わかります。

まさに古代の仏教修行者たちが
自らの体験を言語化して経典や論書にしたためた
貴重な教えが現代にも伝わっているのです。

現代では除夜の鐘を鳴らす習慣が
徐々に廃れつつありますが、
もし鐘を鳴らす機会がある時には
煩悩の具体的な内容を考え
特に自分にとって懸念される項目を意識すると
良いのではないでしょうか。

サポートいただけると記事更新の励みになります。自身の経験などもふまえて仏教をご紹介できればと思っています。