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フランス革命は日本にも波及してました

絶対じゃなかったんやけど
絶対王政とか言ってたブルボン朝
あれが貧乏人階級にブチ殺されるという
革命が発生した上品なフランス

そっから共和国となったフランス
共和国。
それはつまり王とかって言うフィクションが消えたってことです

当時これは他国からしたら
震え上がったでしょう

この当時は
王政や帝国なんですから

王が武器で貧乏人階級に殺されたなんてなれば
王政がなくなってまうがな

ってことで対仏大同盟です

まあ自然ですよね
これは
他国みんなでフランスぶっ潰そうって事よ

力握ってんのは
支配者である王やから
その王によってフランスを潰せ!

が、ご存知
フランスは強いんですよ
なんせ国民軍ですから

他国みたいに
金の関係の傭兵なんかと違って
ノリ気じゃなく戦争行ってる傭兵と違って
フランスの為に命を捧げて戦う民族が相手ですから

日本で言えば
大日本帝国のノリです
天皇万歳!
天皇の為なら死にます!ですね

で、
このフランス革命後の大喧嘩ってのは
日本なんかにも関係してくるんですよ

フェートン号事件です
オランダがフランスに食われて
オランダがフランスみたいになってもうたから
ここで英国がオランダを徹底して潰しておこうとしたわけです
 
で、
オランダと外交してた長崎に
英国がオランダ船のフリしてやってきたんです

ところが
オランダ船潰そうと思って長崎まで来てみたら
オランダ船がその時におらんかったという誤算が発生します

そこで英国は長崎に対して
水と食糧をよこせ。
と要求してきます

ここで長崎奉行の松平康英は
は??なめてんの?
となります

で、
実際に警備である佐賀藩に攻撃指示まで出します

はい。喧嘩

英国 VS 長崎&佐賀
1853年
ペリー来航でびっくりとか言うてますけど
1808年には
こんな喧嘩がもう発生してるんですよ(-_-;)

しかし!
佐賀藩は1000名の戦闘員を用意しているのが約束やったのに
100名程度しか揃えてなかったんです

なんせ平和ボケも平和ボケな状況でしたからね

今の日本と同じです
戦争??
な〜に言ってんすか〜?
って感じです

舐めるに辞めてたので
100名しか警備がおらんかった…

結果
英国様の言われた通りに
水と食糧を渡すしかなく
喧嘩する前に敗北……
情けない…

その結果がこれ

松平さんの自殺

引責自殺。
つまり、
この情けない敗北の責任の為に
切腹で死にます

そして佐賀藩主も幽閉
その部下達は切腹…

戦争もなく平和ボケになってまうと
ある日こういう風にして
脅されて
戦う事も出来ずに敗北するという教訓です

そしてこの反省から

あの有名な異国船打払令が登場するんですよ

もうあの情けない恥だらけの敗北は嫌!!
次から異国船が来たら
問答無用で打ち払え!!
ってね

また異国船が来るとしたら
長崎であるという想定もされたので
佐賀藩が軍事大国になってくんです

 薩長土肥って
薩摩長州土佐は分かるけど
肥前藩??
ってなる人が結構います

そう
それはこのフェートン号事件から
佐賀、そうつまり肥前藩が
軍事最強大国になってたから
薩長土肥ってことでした

さて……
いまの日本も
かつての江戸末期みたいに
平和ボケな状況です

北朝鮮やら中国やら韓国やらロシアやら
すぐそこには敵だらけなわけですよね

竹島問題
尖閣諸島での小競り合い
北方領土のプチ喧嘩
いつまでも賠償金請求してくる韓国
ミサイル打って喧嘩売ってくる北朝鮮

またこのフェートン号みたいに
脅されて屈服敗北。
に、ならない事を祈ります

台湾有事も遅かれ早かれ
発生すると予測されてます

平和ボケ。
これは危険な事でござりますよ

そういう意味では
高市早苗さんに総理になってほしかったですが(-_-





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