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492. 男女別の大浴場

性別のことを話題にすることに気を遣う世の中が来るとは思いもよらなかった。

世の中の人すべてが納得のいくことを書ける自信はない(し、恐らく書ける人はいない)ので、軽い気持ちで読んでほしい。
また、このような話題が苦手な場合は、ここで読むのをやめて他のことをして欲しい。


基本的な考え方

先日泊まった宿には男女別の大浴場があった。
ここでは暗黙の了解で「生物学的な男女」と捉えるのが良いだろう。

「体は男性だが心は女性で、男風呂に入るのは抵抗がある」という人は、部屋のお風呂に入るか、家族風呂がある宿ならばそこを押さえて大きな湯船を楽しむのが良いと個人的には考えている。

「人を見かけで判断するな」という意見もあるだろうが、体が生物学的に男性だと万が一女風呂でいざこざが発生した際に、筋肉の付き方も違うので腕力ではかなわないと思う。
これは差別ではない。区別だ。


さて先日の宿では、7歳以上の異性は混浴してはいけない、と書かれていた。 
父親が娘と男風呂に入ること、母親が息子と女風呂に入ること、いずれも子が7歳以上になるとできない。

かつての嫌な記憶

母親が息子と女風呂に入るのはよく遭遇する。
一回、今回泊まった所ではない宿で、9~10歳ぐらいの男の子がいた。

その母親はもしかしたらシングルマザーで、娘の面倒も見なくてはならず大変なのかもしれないな、と勝手に想像を膨らませてみた。
しかし、他の女性客の体をじっくりと観察するかの様な男の子の様子を見て、嫌悪感を覚えるほどだった。

いまの気分

それ以降、男の子が女風呂にいるのを見ると心理的安全性が保たれなくなる気分になってきた。
3~4歳ぐらいまでならなんとか我慢できそうだが、できればいてほしくない。

嫌な気分になる、という「リスク」は回避するのが一番簡単。
しかしなぜ「被害」を受ける側が避けないといけないのかとも思う。
自分が思い切り時間をずらす必要が出てくるのはあまり納得がいかない。

性のことについては様々な意見があり、
「色々あるのは理解できるし、否定するものではない」
のが理想形だと理解しているが、心の奥底ではやはり生物学的な区別を前提に考えている自分に気づくのだった。
嫌なものは嫌なのだ。


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