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仏教は科学?「学ぶ心深ければ、師は姿を現す」

少し前から仏教に興味があったので、仏教って何なのかをってことを簡単に調べてみました。個人的に面白かったのは仏教が宗教というよりも科学に近かったことです。

仏教とは何か?

仏教にも科学と同じ理論へのアプローチ方法があり、まず仮説があってそれを実践し、結果の出たものは法則として共有されていきます。そうやって経験として蓄積されたノウハウを仏教徒となった人たちは身につけていくという流れです。大雑把な説明ですが、だいたいこんな感じです。

とはいえ、一口に仏教と言っても他の宗教と同じように宗派があり、これによって物事の捉え方は様々です。

先ほどは仏教は科学的だと言いましたが、宗派の中にはそうでないものもあるようです。つまり他の宗教に近いもの、物語だったり経典を主軸に考えるというコミュニティもありますし、あからさまな暴力に訴える過激な宗派もあるんですね。

しかしWikipediaを見ると、「仏教は原因と結果の理解に基づいている」とあるので、基本的には科学的という方針なようです。


学ぼうとする気持ちが世界を変える

さて、タイトルの言葉ですが、これは仏教のお話(説法という言うべきかな?)に出てくる言葉です。

「学ぶ心深ければ、師は姿を現す」

どういう意味か想像できますか?

これは、学ぼうとする気持ちを強く持っていれば、どんな事柄や人物からも学びを得ることができるという意味です。

例えば自分がつまらないと思うことや面倒臭いと思うことであっても、人によってはそれを楽しんでいたり意味を見つけて成長の糧にしていたりします。つまり、物事それ自体の純粋な正体よりも、それをどのように捉え、どのように見ているかという自分の目だったり視点の方が学びには重要である、ということです。

ある人の悪い行いや態度から「こうしてはいけないんだ」と対極にある学びを得る反面教師もその一例ですね。

一見すると何気ないことでも、視点を変え頭を回して観察することで見えてくるものがあるのです。

もちろん、個人的には「何を見るか」ということも大切だと思いますが、それは「どう見るか」という基本があってこそ活きてくる要素なんですね。なぜなら「何を見るか」という部分には多少なりとも運の要素が絡んできますが、「どう見るか」というポイントに関しては「何を見るか」以上に自分の裁量や努力による影響力が大きいからです。


というわけで、ここから先は有料枠で心理学・脳科学の観点から「学ぶ心深ければ、師は姿を現す」の使い方について具体的に言及していきますので、良かったらお付き合いください^^/

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