2010年前後の「女性アーティスト」という時代の括り

一周まわって面白いという言葉は、そこに映るいくつかの時間差を持ったレイヤーを分かっている人のみが内輪のギャグに近い感覚で共感するというものだ。

落合陽一がウィークリー落合で取り上げていた「愛と性」の回で取り上げていた気になる人物として「arvida byström」ちゃんが出てきたのは意外中の意外だった。

まずは、落合陽一の射程範囲内に彼女の存在があったこと。そして、3-5年前に彼女が一番のピークを迎えた頃とは状況が違えど、世間に(思考がなくただ悪と立ち向かう二項対立ポリコレ正義者もいるが)彼女の存在を紹介しても時代感とフィットするタイミングが来たんだということ。その2つが一周回って驚きだった。その事実をヒントに、女性からのカウンターカルチャーは3-5年前からInstagram、インディペンデント雑誌から巻き起こっていたこと。メジャーにカウンターをかます様子は、まるで90年代にデジタル写真×セレブリティの時代にカウンターとしてpurple magazineなどが立ち上がった過去も簡単に覚えている範囲で思い返す。

見られることを逆手に取る彼女たち

今更わざわざ承認欲求に飢えている女たちを取り上げる必要もないのだが、InstagramやTwitterが始まる前までに「自撮り」や思い出写真ではなく「自宅でのリアルな私」を永遠に世の中に投稿することなんて当たり前だったのかすら思い出せない。歴史的に見れば、もちろん女性フォトグラファーが自身のセルフポートレイトを撮ったことは当時にとって驚くべきことだったんだろうし、時代は錯綜するが、ましてや「女」の差別用語「ガーリー」をむしろ武器としたムーブメント、「male gaze」から派生したローラ・マルビィの造語「female gaze」が生まれた過去だってある。

それら歴史のムーブメントから考えれば、承認欲求で満ち溢れたInstagram以降、「見られる対象」が逆手を取って自分の個性を表明するのはツールと時代が変化するものの、数年おきに起きることとして予測できることかもしれない。

「女らしく」を打ち壊しに行く彼女たち

冒頭で書いた「arvida byström」がInstagramで注目を集め始めたのは、おそらく2012〜2013年頃。There will be bloodシリーズからフォトグラファーとしての活動を始めたが(Harleyもviceデビューって聞くから本当にこのメディアの勘は多彩)、単に若手フォトグラファーとして注目されていた他にも、共感を呼ぶようなフェミニズム思考の彼女を応援する女子ファンを多く付けてムーブメント化したのが最大の魅力であり彼女のパワーだった。(いまもそうだ)落合陽一が簡潔に彼女を紹介するために取り上げたポイントは、可愛い顔とは反対に脇毛から足まで体毛が生えている、けれどもどことなくセクシー。(ヌード写真の本では、ヌード絵画を見る時の一番の焦点はアンダーヘアと語られ、アンダヘアーがセクシーさを表現し、男性を唆るものとしての役割だったそうな)これまで日本でもアメリカ文化を引き継いで、女性の脱毛推奨が勧められていたけど、彼女のビジュアルはポートレイトにしても作品にしても色々賛否両論ショッキングなものもあった。そして彼女だけではなく、InstagramでDMを送り合って出会うというコミュニケーションがカジュアルになった時代でPetra Collins, Monica Mogi, ROOKIE MAGなど様々なフォトグラファーとアーティストを互いにピックアップして台風のようにさらに勢力を増してメジャーコンテンツに波紋を巻き起こしたかのように思える。(アヴィちゃんはInstagramというよりタンブラーカルチャー出身だったような)

日本ほど様々なカテゴリーに分けられた女性の種類はなく、私のわかる範囲であれば欧米も英国もメジャー雑誌といえば、セレブリティ思考のファッションやライティングのみで、そこにリアルはない気がしている。そんな幻想に溢れた雑誌界に等身大のお悩みや個性を投影した雑誌が若い子の間で出てくるのは必然だったのかもしれない。

現に90年代のセレブリティが雑誌の表紙を飾る時代に、ユルゲンテラーやテリーリチャードソンなどスナップ写真とpurple,self service, visionare, dutch magazine などの雑誌がカウンターカルチャー的に様々な個性をもって台頭した過去もある。インスタグラミングに則って言えば、誰でも携帯で日常を撮れるようになったストリート感とファッションの大きな周期で到来した90年代のカルチャーはとても相性が良いものだと再認識できる。(だからかっちりセッティングされた舞台じゃない(ように見える)フィルム写真も少し前に沸点に達するほど流行ったんだよね)

雑誌でしか語れない時代の区切り

もちろん細分化して女性視点での等身大を語るムーブメントの走りには、ROOKIE MAGAZINE という先駆者がいるが、(日本ではhigherが頑張ってるね) 近年タンブラーやInstagramを通して生まれた集合体がネット以上にひとつのかたまりとして雑誌刊行で時代への一度区切りを表明していたのではないだろうか。私が2015年にいくつかの雑誌をQuotation magazineで特集した過去も思い出してみると2016年頃に一度インディペンデント雑誌の創刊がピークを迎えたと思う。

2015年 : Re edition magazine創刊、polyester magazine、Vetements のコレクションがメイントレンド化、GUCCIから無名だった髭もじゃクリエイティブディレクターの登場

2014年 : Molly Goddardの初期コレクションデビューSophieによる” Lemonade”のリリース、フォトグラファー・Petra Collins、Monica Mogiなどのエディトリアルをよく目にするようになる、1 garanary 創刊、この前後からHarley Weir, Jamie などが活躍し始める

2013年 : Recens magazine、JWAデビュー、Sky ferreira 1st フルアルバムヒット、

2012年 : ponytale magazine、Marginal Press、アルヴィダちゃん登場(他になんか関連することあるかなあ。。。)

などの連続性によりコアなカルチャーでもありながら、段々とメジャーにも影響を与えるリソースにもなった。(Recens, 1granaryともに後に自身たちが若手やコアなタレントを早めにピックアップしてしまうことが消費に繋がってしまうことに嫌気がさす)

そうした女性作家による作品表現は最近になればなるほど本人たちが意識している以上に「女性フォトグラファーによる」「女性作家アーティストによる」という肩書きの一部になってしまった。(しまったという反面、彼らが集合体で活躍できるチャンスも増えたわけだが)。(ここではトピックを絞るためトランスジェンダーまで広げないが)女性がそう見られることで、反骨精神も生まれそうやって時代はユニセックスウェアとも親和性を帯びていったわけだし、「女性」として特別扱いを受ける社会に対しても思いっきり「そんな二項対立古いわよ」と言えるようにようやく到達しつつある気がする。


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