個々であること/集合体であること

初めて上海からの東京ファッションウィークを駆け抜けてみたが、「個々であること」「集合体であること」の使い分けを十二分にも感じた。(取捨選択)

時代の流れとして特にファッションにおいては、出し尽くした溢れかえったクリエーションたちに対してまた一から全く新しいものを叩き出すというゲームはvetements,virgil ablohあたりにより一度リセットされた。インターネットの普及、そこら中に張り巡らされたオーディエンスの目線(悪い方向に転べば監視社会)などにより、感覚的で異彩なクリエーションよりも説明しやすく「共感」を呼ぶようなクリエーションの方が人々の心に刺さり、それゆえクリエーションの根元には何かしらのリファレンスが潜むようになった。つまる所リミックス。
(もちろん私は表層をさらったようなものでなく、デザイナーその人の手だったりその人自身が感じられるようなピュアなクリエーションが好き)
それらの共感は上下左右ともに文脈を繋ぎ集合することで打ち出した時の強さを増す。これまで自力でインディペンデントブランドが頑張る時代が続き、各々がSNSで個性を出すのが主流だったが、時に個々であるからといってそれが個性として映える前に、もはや誰もこの上げてる手に気がつかないということも多々ある。そしてその才能たちに気がつかない/まとめあげられないプラットフォーム側も力を失っていく。

上海ファッションウィークに訪れたのは今回で2回目だったが、前回と比べて格段にLABELHOODの進化、問題解決のスピードに驚かされた。

そもそもファッションに限らず中国のこの急成長の裏側には恐らく母体数、広さ(アメリカと同じ条件)、西洋的なコミュニケーションの仕方、模範による目と腕の肥え方があるように感じる。

さて、色々とコマーシャルな場所で素直に書けなかったものを下記で上海ファッションウィークの集合体 と トウコレの個々 、おまけでART BOOK CHINA も。

上海ファッションウィークが使う集合体
上に書いたLABELHOODの説明はこちらfashionsnapcomにて。

https://www.fashionsnap.com/article/shanghaifashionweek/

前回は3回建て、ワンフロアに30人入るか入らないかの狭さで開催したLABELHOODは創設当時に大きな会場でやっていたこともあって、デザイナーから不評に。今回選んだ美術館は少し首都より離れてるもののウェアハウスのような会場が3つ。

(2枚目は5〜6階建てになってて、1階ではDavid Shrigleyの巡回展が開催。4階あたりでは中国のファッションを振り返る簡易的な展示が開催。ショーは6階の窓から自然光が入る場所で開催。)

ほとんどのブランドは TUBE SHOWROOM / NOT SHOWROOM の二大巨頭に所属し、合同展示会を開催する。ファッションウィーク中に不慣れな土地で、合同展示会が一斉に行われてるのは単純に楽であり、日本でいう合同展示会のイメージとは違い「ちゃんとPRに守られてる」感が強い。(今回はKOCHEもTUBEにて出展)

▼TUBEは前回と違って都心部の方のビル1棟で合同展示。1階はジュエリーやウェアラブルライン、2階はSIRLOIN, SHUSHUTONG, XIAO LIなどのインディペンデントデザイナー、3階はメンズと今回初のインテリア雑貨も。写真特に撮らずに終わった・・・

▼NOT SHOWROOMは、少し辺鄙な場所で自然に囲まれた何棟かに分けた合同展示会。少し大人め、ブランド立ち上げてからの年数が長いラインが並ぶ。XIMON LEE, Andrea Jiapei Li, PRONOUNCE など。

またそれらに付随してLABELHOODのプラットフォームは年数を重ねるごとに強度と意味を増してる。「知られてる」存在でない限り、散らばるべきでなくパッケージとしてまとめて紹介した方が最終的に運営側も訪問者もwin-winのように感じる。

そしてもちろんパッケージ化は均一化することではない。強いて言えば、まだ中国で多くのブランドが乱立していないという状況がTUBEはポップめ、NOTは大人めくらいの二大巨頭でやっていけてるのかもしれないが。それでも少なからずロンドンがパリに持っていく形式など他国から学んだシステム作りは念頭に置いてるはずだ。

東京ファッションウィークが使う個々

ここで、遅れを年々取りつつある東京ファッションウィークのそうさせた原因は大体勘付けるはずだろう。

ヒカリエという会場への問題点と並び、都度問題視される個別に散らばりすぎているプロジェクトや合同展示会。日本のファッションが好きで度々訪れる中国人の友人でさえ、「日本の若手ブランドはショーをやるのになんで、展示会はやらないの?」と質問されるほど、情報伝達の薄さを感じる。

ファッションだけに限った話ではないが、携帯会社にしても企業にしても似たような同系統業種が乱立し目指すべき土壌がドメスティックのみ、いまwechatpayの真似を国内携帯会社が始めようとしても世界的にオープンにしたところで敵いっこなし、ドメスティックだけではシェアが少ない。と八方塞がりになる日も遠くないのに、まだどんぐりの背比べがそこら中で行われてる。

また今後中国のメディアとプレス、ブランドの関係性も、もう少し言語の理解が追いついた時に分かることだと思うけど(批評なのかお世辞なのか)、プレスの子を見る限りそんな高評価だけをプッシュするような姿勢は見られず、各々が個人的に好きなブランドがあるというファンの目線も持っているような気がした。(プレスのリーダー格も30代、私をアテンドしてくれた数人の子たちは同世代ーセーラームーン話で盛り上がる世代)

一方、今回コマーシャル色の強かったトウコレは、もはや広告塔としての役割が半分以上を占めていたように思う。その中でもやっぱり疑問だったのはプレスーメディアの関係性。果たしてトウコレでこのブランドやるべきなの?と一瞬疑問を思い浮かんでしまうブランドでさえも、良い意味で言えば日本の一種のエンタメとして楽しめるかもしれないけど、ファッションウィークにおいてはカルチャーイベントと違って楽しむだけで成立しない場所であることも業界みんなが忘れていけないように思う。(一番要は主宰者の主語がどのように、どこに提示されているかだと思うけども)様々な職種や視点が集まるショー会場にて本音が見て取れるのは数人だけで、他は本音なのかお世辞なのか分からない賛美がほとんどだったように思う。

おまけ‥ART BOOK IN CHINA

私が帰国したのち、プラダやビエンナーレなど様々なアートフェアが続々とスタートしていたそうですが、ちょうど滞在中に開催していたのはART BOOK IN CHINA。今回が2回目の開催で、場所は光きらめくBOUND近くの美術館。(TATE を思い出す街並みだった)

3日間のみの開催とあってか、ずっと満員電車状態で出店者は中国、ヨーロッパ、日本など様々。イラストレーターもいれば、出版社、音楽レーベルなど結構幅広い媒体の参加で、友人とずっと気になっていたCLOSING CEREMONYはやっぱり現在販売中のイシューは売り切れで、次号待ち。タブーとされているような表現もいくつかのブースで反響を読んでいて、少しアンダーグラウンドな空気を味わう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?