INTERVIEW_FASHION SALES

ファッションにおける時代感を巻き起こすのはファッションデザイナーだとしても、彼らだけではファッションブランドそのものは機能しない。言わずもがな周知の通り、フォトグラファー、ヘアメイクアーティスト、スタイリスト、プレス、セールス、エディターなど様々なクリエイティビティが混ざり合って、ブランドはやっと総合力100%を発揮できるはず。若手ブランドが盛り上がる中、同じくらい注目が集まったのはデザイナーの周りでサポートする人々。Demnaであれば、スタイリスト・Lotta、BALENCIAGAメンズデザインを担当するMartin Rose、それに欠かせないのが数字に強い弟の存在。国内ブランドsacaiもデザイナーインタビューに次いで源馬大輔事務所への関心も高まった。

今回ご紹介するのは、ロンドン拠点のセールスエージェンシー・NANASUZUKI。エージェンシーの名前の通り、指揮を取っているのは日本人の鈴木菜々さん。ロンドン・ファッション・ウィーク・メンズでも注目株のCOTTWEILER, XANDER ZHOUなどのブランドを支える他、アイキャッチな表紙が特徴的な雑誌「DUST」が始めたコレクションラインのセールスも担当している。ロンドンのファッションブランド&ファッションウィークの根幹を担う組織「British Fashion Council」で6年間キャリアを積み、2012年にはロンドン・ファッション・ウィーク・メンズの立ち上げも協力。老舗ブランドと若手ブランドがお互い刺激を与え続ける場で、ブランドの心臓の一部でもあるビジネスを握る彼女に話を聞いた。

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◆フランス語専攻の大学を経て、一度営業職に就職後、ファッションの道へ進んだそうですね。

大学卒業後に、フランス語をツールとしてファッション業界へ進む道も考えたのですが、本来希望している営業職は当時男性が担当しているイメージがありました。なので、一度ファッションではない業種の営業に勤めたのですが、結局元々ファッションの仕事に就きたいという気持ちが強かったので、26歳の時にまずは「手に職」も考慮してエスモードのパターン学科に夜間で通い始めたんです。結果、服作りより自分の強みである「語学」「営業」「ファッション」を掛け合わせる形で、将来ファッションのビジネス面で働けないかと考え始め、当時日本でファッションビジネスを学べる学校がなかったのを機に、海外留学を目指すようになりました。特に絶対的なロンドンへの固執はなかったのですが、自分が勉強しながら貯金できる範囲で考えた時に、London College of Fashionのビジネス科がぴったりだと感じました。実際1年間ロンドンに住んでみて、自分のやりたいことが出来る土壌だと気づけたのは大事な経験だったと思います。


◆ その後、一旦帰国してまたロンドンへ戻りますよね。戻った後にファッションの仕事に関わるようになったのでしょうか?

帰国後も自分の居場所はロンドンだと思い、貯金をしながら戻るタイミングを考えていました。何度訪れても楽しい街で、再び戻った後にそうこうしているうちにお金も底をついてしまったので、ロンドンの高級ショッピング・エリア「Knightsbridge」にある「MARNI」の旗艦店に飛び込みでトライアルから働き始めました。その後正式に採用され、4年半ショップ店員として働いていました。


◆ ある意味初めてファッションの仕事を経験したわけですが、ハイブランドの店舗だからこその印象的な体験はありましたか?
高所得層、特に中東の顧客様の買う規模、ダイナミックな売り方・数字に触れられたことも印象に残ってます。店頭で丁寧な接客を通して信頼を置いていただけたら、彼らが自国に帰国した後も電話で新着アイテムのご紹介をすると、電話口だけで200万円購入していただけるような世界でした。ハイブランドの看板を背負っている以上、電話含め店頭の接客でも英語やコミュニケーションとして不足しているわけにもいかないので、毎日緊張した空間でプレッシャーを感じられたことも、殻1枚破ることができたと思います。


◆ その後MARNIを辞めて、ブリティッシュ・ファッション・カウンシルに勤め始めますよね。

渡英してから少しずつ人脈が広がっていくうちに、紹介でブリティッシュ・ファッション・カウンシルにコンサルタントとして起用されたのが始まりです。最初はアジアマーケティングを担当して、最後の数年間は全世界担当になりました。5〜6年間程勤めて、その間にロンドン・コレクション・メンの立ち上げにも関わるようになりました。

LONDON FASHION WEEK 5th Anniversary

◆ ブランドとは異なる規模での仕事ですが、どのような視点で仕事を行っていましたか?

この場合は、ロンドンファッションウィーク自体をブランドと捉えて、そこにどうやってバイヤー・メディア・お客様を呼び込めるかを考えていました。MARNIに勤めていた2005年頃は、Tom Ford, GUCCI, Dior, Fendi, Marc Jacobsなどが流行っていたような時代で全くロンドンに注目が集まってなかった時代でした。しかし、私がブリティッシュ・ファッション・カウンシルに入った時代には、ちょうどChristopher Kaneがジワジワと注目を集め始めた瞬間、つまりロンドンの若手ブランドへの期待が集まり始めた初期の頃でした。今のようにバイヤー、メディアから「ロンドンは若い才能を生み出す場所」として認知され始めた頃ですね。その時代にロンドンファッションウィーク、ロンドンの若手ブランドをサポートできたことは、ロンドンの強みでもあるクリエイティビティの深みを感じられたと思ってます。

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◆ 具体的には、どのような仕事内容だったのでしょうか?

具体的には、アジアのバイヤーさんにロンドン・ファッション・ウィークに来ていただけるように働きかけ、来ていただいた際にはファッション・ウィーク期間中にショウやイベントへご案内したり、お店のディレクションに合いそうなブランドを先に調べておいてご紹介します。また、ブリティッシュ・ファッション・カウンシルがロンドンの新人デザイナーをまとめて合同展示会「LONDON SHOWROOM」をパリで見せていたので、バイヤーさんとの買い付けアポを代理で取り、ショウルームでのご案内もしていました。若手デザイナーは、素晴らしいデザインを作り出せても、買い付けの際によく使う専門用語やバイヤーさんのことをよく知らなかったりするので、セールスのサポートにも携わっていました。


◆ ナナさんは自分が組織の中で日本人としてのアイデンティティも含めながらいまでも重要視していることはありますか?

「日本人であること」は自然と良い方向に表れて、最終的に「使える人」と思われていました。例えば、雨が降ったらお客様が無事会場に来れるか心配したり、迷子も同様で、いつも「プランB」を持っていることは重要だったと思います。外のカルチャーに馴染む必要もありますが、日本人として出来ることをちゃんと発揮できれば、海外の土壌でちゃんと可能性を点火できると思います。


◆ ブランド規模、ファションウィーク規模どちらも経験したと思いますが、一貫して今の仕事でやり甲斐を感じる瞬間は、どんな時でしょうか?

ブリティッシュ・ファッション・カウンシル時代に、様々な若手ブランドと仕事をした中で、ブランドとバイヤーを繋いでよかったなという喜びは常に感じていました。それは、いまでも変わらずやりがいを感じる瞬間です。私自身が今までの経緯を話した通り「点と点と点をつないで実行する」行動パターンを持っているので、それは様々な可能性 - 点を見つけるという意味で今の仕事が天職だと感じてます。


◆一旦若手ブランドの盛り上がりも落ち着き、各々がビジネスやチーム体制を整えている所でもあると思うのですが、若手デザイナーが大切にすべきこと・経験とは何でしょうか?

若手ブランドのデザイナーは良質な服を着たり、ハイブランドの店舗に訪れてみることを大切にした方がいいと思います。やはり画像ではヴィジュアル映えしても、いざ実際に服をみるとヘタウマ感が強い若手ブランドはロンドンにも存在します。お金がないことに比例して安い服しか着ていないと、そのまま自分のクリエーションにも自然と反映されますよね。また、ロンドンの土地柄としてそもそも工場が少ない国なので、生産背景がしっかりしているイタリアにはどうしても質として負けてしまうようにも感じます。クリエイティビティのみで注目される時期もあると思いますが、そこから生き残るにはやはりハイエンドなセレクトショップに置かれても違和感がないような服作りを目指すべきだと思ってます。なので、私もサポートしているブランドもその点は踏まえながら、お互いのクリエイティブな力を発揮し支え合っています。

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