18SS東京

ここ数シーズンはやたらロンドンファッションウィークには行くものの、東京ではブランドのPRを担当しており展示会巡りやショーもまともな意識のまま行けず、だったが今回は自由に出来るだけ東京ファッションウィークも感じることができた。ので、ここに記録しておこうと思う。

いまだに存在感が薄い「東京ファッションウィーク」

(というか改めてトップページをスクショするとロゴの多さに引く)

初日の盛り上がりはどこに行ったのやら、やはり全体として「東京ファッションウィーク」自体がアインデンティティを持つことはまだまだ先のようだった。パリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨーク、東京と並ぶ中、実際の所すでに上海ファッションウィークの目新しさとパワーはすぐそこまで来ているように思える。みんなが身近に感じるアマゾンがスポンサーに付いて以来、BoF筆頭に海外はアマゾンを警戒し始める一方で、日本は下記で記している通りアフターパーティ付きの「イベント」で盛り上がりを見せている。やるならちゃんと役立ちたいという彼らの想いがあるそうだが、最終的に「複数のブランドがバラバラにショーを開催している」という状況は変わらない。特にスポンサーが誰であろうと「東京ファッションウィーク」全体の存在感、まとめあげている存在感は相変わらず薄い。なので、会期終了後もパリやロンドンのように全体として向かいたい方向や注目すべき特異点など見えないのだろう。それがカオスで東京らしいとも言える反面、集客が上海や韓国などに持っていかれることは予想できる。

「デザイナー、クリエイター、アーティスト、観客、インフルエンサー、フォロワー、ファッションに関わるひと、関わらないひと。
東京に集まるすべてのひとたちが、“AT TOKYO”に参加していると感じられる場所を作ること。
ものづくりをする人たちがインスピレーションを得る、音楽やアート、テクノロジー。それらのフォロワーをも“AT TOKYO”に巻き込み、新しいコミュニケーションの形をつくること。
次世代のユースたちが、自分たちもここで何かしたいと思えるような、刺激的な体験を仕掛けること。
何が次に起きるのか?それを期待したくなる、記憶に刻まれる瞬間を残すこと。
Amazon Fashion “AT TOKYO”は、そのすべてを担うファッションの新しいハブになる。」

10月頭には「INNERSECT」というイベントが上海で開催され、参加メンツの並びを見て驚いた。ミーハーな並びとも言えるし、どのくらいの盛況っぷりだったかは中国語のサイトを見る限り分からないが、国際的な並びと中国のミレニアル世代=4億人の消費活動を予想するだけで日本にはないものを感じる。並びは、ASAP ROCKY, daido manabe, RICH CHIGGA, sacai, JWA, AMBUSH, ALYX, NIKE, Converse, Medicom Toy, SHOWSTUDIOなど。ミュージシャンはライブを行い、ブランドやメディアはブースを持つ。3日間だけのイベントに対してわざわざアプリも立ち上げ、会期終了後も買い物が出来る仕掛けを作っている。


次のステップを歩み始める中堅ブランドたち

パワーのあるリーダー不在では、ブランドたちは個々で頑張るしかない。山懸さんと鈴木親さんとの対談をつい最近行ったが、日本でのファッションは付加価値が守られていないという話がいまだに色々な場面で反芻する。

消費社会の日本にとって強調されるトレンドは格好の餌食となり、そこに意図せず乗っかってしまったブランドのアイテム単体や雰囲気は何かに置き換えられてしまう危険性を孕む。海外ではハイブランド VS 若手 であろうと最近のGUCCI宇宙人コレクションを筆頭に、オリジナリティを奪うことに関してはハイブランドであろうとも猛烈にメディア総出で批判することもある。そのくらいオリジナルのクリエーションに対しては、皆平等にある程度の常識と保護環境が整っている。

若手と言われてきた日本のブランドもこの危険性と隣り合わせになりながら、ただのコラボ屋さんにならないようにしながら、中堅ブランド、そして国外へのステップを踏み始めたように感じた今回の東コレ。西洋のモード文脈に近づく彼らは、どこまでブランド特有の個性を残したまま消化できるのか、とまたこの数シーズンの変化を見守りたくなった。外国人、日本人モデル起用問題はどうでも良くて誰を使おうともそのブランドのオリジナリティが体現できているのか、国外を出た瞬間に肩を並べる無数のブランドの中から抜きん出ることが可能かどうかが重要。

一方、西洋に近づきたいがあまりにその場所で活躍する日本ブランドの要素を意識しすぎたブランドも見受けられた。それでは二番煎じ所か先ほど書いたような消費活動の波に自然と足を引っ張られて堕ちてしまう。その前に早く自身のオリジナリティを思い起こし目先の誘惑に引っ張られてはいけないのではないだろうか。

「かわいい」や「いまの若い子の感性」を捉えるカルト的なブランドに関しては各々その時代の流れにどれだけ乗れているのかが数シーズン迎えると勝負になってくる。特にそれらの変化は急速かつずれてしまうと前のシーズンのドンピシャ具合と比べられる対象にもなってしまう。それらのツボを抑えるのか西洋モードへの文脈に乗るのか迷いが出るシーズンのほとんどがその気持ちをみ抜かされてしまう。

山懸さん、鈴木親さんの対談でもう1つ印象に残ったことがある。日本のブランドは雑誌に広告を打たないこと。「え、それは雑誌が力ないからでしょ?」と思いがちだが、ロンドンのハイファッション系雑誌でも若手ブランドの初めての広告を見ることは多々ある。JWAはあの広告写真がもう1押ししてくれたと感じる。確かにそう言われてみれば、ギャルソンも昔は広告写真を打ち出していたし、今ではsacaiがそのルールに従っている。西洋のルールに則るには服やルック以外の見せ方も考えないと1つ頭抜きん出ることは難しいだろう。そういった所での話はどんどんファッションとフォトグラフィーの関係まで派生していくはずだ。

(時代が違うがBLESSも最初はi-D magazineの広告から衝撃のデビューを果たした)


連携の取れないショー会場

ショーの時受付を済ます時の何か違和感を感じていたが、思い返すとロンドンファッションウィークでの受付は、スマホのような電子機器で自分の名前を言えば相手が検索してチェックするだけ。それで会場に入り、インビに記載してある席番号に通されるだけのスムーズさだった。(もちろんなかには席をうまく案内できないインターンもいるが)

ロンドンファッションウィークではウェブの登録で滞在先住所を記載しておくとそこにインビが届くようになっている。(私は念のためインビリクエストをメールするブランドには、住所も記載しているが)住所だけではなく、もちろん肩書きや所属、自分のワークスを添付するページもあり(ワークスだけではなくメディアなら編集長からの許可書が必要となる、恐らくフェイクの存在を消すためだろう)、おそらくその情報が各会場のスタッフが手にもつ電子機器に集約されているのだろう。名前を言ってチェックするだけ、とスムーズな対応はわざわざ長蛇の列を並ばせない方法でもある。

冒頭で書いた通り、まとめあげる機関がない限り、PRや受付の部分でさえも対応がバラバラになってくる。長蛇の列で来場者をぐったりさせる前にスムーズに通せる方法を他国のコレクションも見て取り入れらる所もあると思う。(もちろん個人情報管理など色々な事情を超える問題はあるだろうけど)

抽象的に全体感を捉えた感じになってしまったけど、ネクストステップにあがるブランドたちがどうか消費と西洋の大海原に埋もれないように、と願うばかりだった。


 

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