BoFが明かすGoshaの今までとCraig Greenのこれから

noteに移転しただけでまた更新できていないこの罪悪感。夏や来年に向けての企画を練っています。実現したらかっこよくなりそうなので、ギャラリー展覧会などなど同時並行だけどがんばってます。とはいえ、一応毎朝BoFで気になるニュースは電車の途中で寝ちゃってもなんとなくは目を通してます。

たまにBoFでは、デザイナーのクリエーションではなくビジネスの部分にフォーカスを置いた特集を行うのですが、少し前にGosha Rubchinsky、最近はCraig Greenにインタビューを行い彼らの今までと現状を語っています。(どちらも編集長のインタビューかな?)

Goshaについては、ステップアップの道は人の巡り合わせで順調だけどやっぱり生産でつまづき、そこで助け舟を出したのがDover Street Market(エイドリアン)なんだなあということ。Craig Greenは、正直今まで色々な支援がなんだかんだついてたよなあと思ってたけど、予想通りそれらが外れた後を今後考える必要があるんだなと再認識。どちらのブランドも今や若手でありながらもそろそろ下の世代が出てきてもおかしくないかなと感じてます。なかなか日本ではリークされない部分なので、かいつまんで翻訳していきながら、自分の考えも。

Gosha Rubchinsky

Vetemetsの急激な人気も後押ししてか更に巷であのロシア国旗をちらほら見るようになったGosha Rubchinsky。

ロンドンのDSMが移転しブランドのスペースが広くなったにも関わらず、2016S/Sは店内で2日間で売り切れ。急いで追加生産を行うほど、ブランドとしての注目度が高まり、昨年から350%売り上げが伸びているそう。

今やブランドとしての名前が前に出ているけど、ファッションへの最初の入り口はフォトグラファー。今でも日本では稀にthem magazine等で、彼が撮ったストーリーを見ることができる。服飾学校にも通ったことがなく、純粋に写真とともにモスクワのスケーターカルチャーを楽しんでいたわけだが、2008年にリメイクTシャツを作ったのがきっかけだった。ただ古着屋で売っているようなTシャツに刺繍したりして、友達の支援によりジャケットやパンツなども作るようになる。その後、ただ趣味感覚でリメイクするのではなく、モスクワのローカルエリア、Solyanka clubのスポーツスタジアムでショーを行う。モスクワでそんなこと起きるなんて、めったにないことだったので初のショーにして、600人もの観客が見にくることとなった。

しかし、注目度とビジネスが比例することは中々そうは簡単にいかない。服飾技術もままならないリメイクがメインだった彼は、すべてのアイテム1サイズしか用意しておらず、それらを友達に売ったりあげたりしてしまうのだった。アイテムの数も少なければ、友達にあげた後の生産力もない、つまりお金が生まれない状況だった。

普通であれば、ここからもう一度ショーや展示会発表を行うには自分でバイトか何か手を売って次のシーズンに向かうわけだが、ここで運良くロシアのVogue編集者Anna Dyulgerovaに出会う。彼女が2009年に開催したCycles & Seasonsに招待され、プレゼンターションを発表した後に思いもよらない程に国内外のバイヤーやメディアから注目されることとなる。

2009/2010 AW

でも、まだその頃も1アイテム1サイズの状況から打開出来ておらず、国内外からお声がけがかかるものの、誘いを断るしかなかった。(なにしてるんだ‥‥

1度運を使い切ったはずだが、メディア受けが良かったからか、その後はロンドンファッションウィークのプレゼンテーションに招待されることとなる。個人資産で作ったたった12着をスーツケースに入れて、持って飛行機でロンドンへ行くこととなる。

表層的には、順調に周りに支えられているように思えるが、やはりモスクワに帰国後現実を目の当たりにすることとなる。友達に支えられていただけで、店との取引も上手くいってないので、お金もなければ役割を立てたチーム作りなど出来てなかったのである。今後の展開がない。

そこで、何故か諦めずに彼はブランド存続の道に傾き始める。とはいえ、現地の布は高く結局にネックになったのが、生産であった。そんな状況を打開したのは、2012年に刊行した彼の写真集に向けて、写真とビデオ制作を行っていた時だった。またもや幸運に恵まれる。(たぶんある程度注目度とともに人を巡り合わせてくれるような人が色々周りにいたのかもね。)

http://gosharubchinskiy.com/projects/transbook/

ロシアのVogue編集者により紹介を受けたのが、Adrian Joffeだった。この巡り合わせが無かったら、今のブランドの売り上げや存続はなかったのかも。Goshaのクリエーションを気に入ったエイドリアンは、すぐさま取り扱いをDSMで始めることとなる。さて、ここでなんだかんだの紆余曲折サクセスストーリーが落ち着けばいいのだが、物語はそう簡単ではない。

DSMからオーダーを受け、素直に生産したGoshaは自分の資産を失い利益もなくなり最終的に借金を使うこととなる。デザインをするものの生産背景を整えきれて無かった彼は困惑した心情で素直にエイドリアンに相談し、エイドリアンがある程度生産する範囲を提案しセールスやマーケティング、生産もサポートすることになった。ビジネスを回すだけではなく、それ以上に”Gosha Rubchinsly supported by Comme des Garcons”の認識が世に広まるようになったのも、ここまでのサポートがあってだと思う。

その後、エイドリアンの反対を押し切ってパリのコレクションにデビューし、一気に注目度が上がった。お店でもGoshaのモチーフとなるようなデザインが施されたTシャツの売り上げが良いそうだ。ここでやっとここ最近の人気とそれに比例した売り上げ、ビジネスにストーリーは着地する。

現在もフォトグラファーとして写真集出版を考えていたり、私の周りの友達がインターンを行ってる姿は、たぶん友達に近い距離感で手伝っているんだろうなあというのが垣間見える。実際、コレクション映像を作っているJulian に話を聞いてみると、InstagramでDMしていたらお互いのクリエーションへのエナジーが共感できて最終的にコラボレーションすることになった、とやはりまだロシアで模索していた頃の友達や身近な人とクリエーションするスタイルは変わらないことが伺えるし、それが若者を惹きつける源なのかもしれない。


Craig Green

一方、Craig Green はセントマーチン卒という肩書きのもと皆さんご存知の派手な装飾とともにデビューしたコレクションが懐かしい。今やショーでは、メンズモデルのみ起用しているものの雑誌やストリートでも男女問わず愛されている。

少なくともGoshaよりロンドンという環境やセントマ後のNEWGENなどのサポートが順調につき、現在に至るのは難しくなかったかもしれないが、そろそろ若手という枠から外れようとしている。皮切りとなったのは、2015SSのショー。実は初めて自力で行ったランウェイショーだった。

それまでの卒業後からの彼のコレクションは、NEWGENの枠で行っていており、資金面会場面など諸々の費用やサポートが付いていた。(SSのタイミングでLouiseが亡くなったことも重なり、メディア含めて感動の嵐だったのはそういう訳でもある)そして、先月BFC/GQ Designer Menswear Fundにて£150,000を獲得。やっとオフィスの環境を整えられるよ、と語る彼。

異素材であることや数シーズン前からの紐が垂れているシルエットをブランドのアイコンにしたわけだが、一貫して「禅」に影響を受けていることはご存知だろうか?(また「禅」の中にも含まれる「DIY精神」も彼のコレクションにおいては重要)特に2015SSは顕著だが、袴のようなアイテムだったり裸足、落ち着いたトーンなどから見受けられる。

セントマに入る前はポートレイトペインターを目指して、ファインアートを学べる環境を探していた。そんな時に友人や学校見学で出会った在学生などの声により、セントマにアプライすることとなる。入学後に、シルクスクリーンを使ったアイテム制作に熱中することとなり、アートとファッションの間を模索するのだが、当時を振り返るとアートとしてもファッションとしても最悪だと自己批評している。その後、現在のコレクションを見て納得の通りWalter van Beirendonck, Bernhard Willhelm,Henrik Vibskovから強い影響を受け、Louise Wilsonによって才能が見出されることとなる。

初期のコレクションでは多くの人が「奇抜」なブランドとして捉えていたかと思うが、アイテムだけ見るとウェアラブルなものが多く本人も「自分はショーとしての見せ方としてヴィジュアルとして装飾をつけただけで、あんなに賛否両論もらうとは思わなかった」と語るほどだった。その後、人々が装飾ばかりに注目してしまうという理由で、最近ではモデルそのままでショーを行っている。

もはや若手ブランドではないと思うが、今後について「人々が欲しいと思うプロダクト作りをする必要がある」と語っていて何か違和感を感じる。「これだけ世界的に有名なのに?」。しかしこれだけ国内外に名が知れているブランドとて、J.W AndersonやSimone Rochaなど同時期に出てきたブランドが次々と独立して路面店をオープンしている状況まではついていけてないのが現実でもある。また、独立してショーを行うまでも彼らとは数テンポ遅れを取っており、特に外部のファッション的なデバイスともコラボレーションは行っていない。唯一最近、NICK NIGHTによる撮影にて広告は出しているが。(このビジュアルは素晴らしいと心底思う)つまり、Craig Greenを知らないような一般的な客にも伝わる機会が少ない。(J.W.AndersonはTOPSHOPとコラボして世界各国で発売, Simore Rocha はJ BRANDとコラボレーションを行いDSMでも販売)


日本から見れば羨ましい限りの活躍ぷりだが、ロンドンという市場の中でさえ他ブランドと肩を並べるとまだまだニッチな存在として、今後はどのように資金繰りをしていくのか。とはいえ、自身でショーを行うようになってから、より男女ともに着やすいなアイテムやデザインが多くなっているようにも感じる。


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