20181026意識と思考の発達段階
2018年10月26日、過去の蓄積では立体的な成長を平面で切り取って図示してきたが、そのタテ軸(スパイラル)に当たる「意識と思考の変化」についてまとめてみる。
※一般的に見ると、とても怪しい内容になっているので注意※
とりあえず古今東西さまざまな発達段階のおさらいとまとめ。
ピラミッド状に一方的に上昇する発達段階に「輪廻」の仕組みを取り入れ、統合&図式化。
以下、補足にならない補足説明。
1次元
気づきの誕生【意識】
シュタイナー:物理的・身体的意識段階(0歳~)
インテグラル: マゼンタ(紫+赤)
ベース:生きること(精霊崇拝)
マズロー:生理的欲求
ピアジェ:感覚-運動期(0~2歳:θ波優位)
エリクソン:信頼のための親密さの獲得
2次元
生きることへの気づき【存在】
(客観→主観)
インテグラル: レッド(赤)
ベース:立場(衝動)
マズロー:安全の欲求
ピアジェ:前操作期(2~7歳:α波優位)
エリクソン:親密さのための同一性の獲得
3次元
自己への気づき【自己認識】
(主観→客観)
五識
シュタイナー:感情的意識段階(7歳~)
インテグラル: アンバー(赤+黄)
ベース: 知識(秩序/役割)
マズロー:所属と愛の欲求
ピアジェ:具体的操作期(7~12歳: β波の発達 )
エリクソン:同一性のための勤勉性の獲得
──現時点での人類の平均的な意識レベル──
3.5次元
自己から他者へ【受容と内省】
インテグラル:オレンジ(黄+赤)
ベース: 成果(合理性)
マズロー:承認欲求
ピアジェ:形式的操作期(12歳~:γ波の発達)
エリクソン:勤勉性のための自主性の獲得
4次元
愛への気づき【愛と調和】
(客観→主観)
シュタイナー:抽象試行段階(14歳~)
インテグラル :グリーン (緑:黄+青)
ベース: 価値(相対主義的)
マズロー:自己実現欲求
エリクソン:自主性のための自律性の獲得
──意識の境界──
物質(肉体)vs精神(心)
意識vs無意識
考vs思
シュタイナー:人格の完成(21歳~)、十六弁の蓮華の開花
インテグラル:ティール(緑+青)
価値からの解放(統合的)
エリクソン:自律性における恥・疑惑の克服;意思のコントロール
シュタイナー:十二弁の蓮華の開花
5次元
調和と創造【智慧】
(主観→客観)
インテグラル:ターコイズ (青+緑)
成果からの解放(包括的)
マズロー:自己超越
エリクソン:自主性における罪悪感の克服;目的のコントロール
シュタイナー:十弁の蓮華の開花
6次元
自他の統合【叡智】
(客観→主観)
未那識
インテグラル:インディゴ (青)
知識からの解放(世界的)
エリクソン:勤勉性における劣等感の克服;環境のコントロール
シュタイナー:六弁の蓮華の開花
7次元
両極性の収束 【愛と知恵の統合】
(主観→客観)
阿頼耶識
インテグラル:ヴァイオレット (紫:青+赤)
立場からの解放(超統合的)
エリクソン:同一性における同一性混乱の克服;力(物質的エネルギー)のコントロール
シュタイナー:四弁の蓮華の開花
8次元
一つ(無限)の状態 【神秘】
(客観→主観)
阿摩羅識
インテグラル:ウルトラヴァイオレット(紫+青)
生きることからの解放(上心)
エリクソン:親密さにおける孤独の克服;愛(精神的エネルギー)のコントロール
シュタイナー:二弁の蓮華の開花
9次元=0次元
乾栗陀耶識
インテグラル:クリアライト(白or黒:赤+青+緑)
非二元
超心
さらなる補足メモ。
<高次と低次の区分け>
そもそもこれらの段階は「新たに生まれ」たり「成長する」というよりも、元々ある段階に気づく(Awareness)というほうが近い。(無いものを手に入れる感覚は、低次意識的な捉え方に依っている。)
<段階:Awarenessのライン>
その段階で「バランスが取れる」または「充足される」と上の段階に移行できるようになる。逆にどこかの段階でバランスが崩れた場合、崩れたレベルの意識状態に位置する。
高次意識の開拓とトレーニングによって、意識間を自由に行き来できるようになる(瞑想などの効果)。
<三原色の色分け>
「赤」
肉体面での精神あるいは肉体生活。活力から出る、感情、怒り、体の欲求。
「青」
霊的な面の精神、崇高な思想、博愛、宗教心、礼拝。宗教性の高い低いで色が変化。
「黃」
精神の知性面、理性、分析、判断、論理、帰納、演繹、統合。知的活動の高低で色が変化。後光。
<段階を充足しなくても次段階に移行する:グラデーション>
マズローより:より高次に進む上で、それぞれの段階は100%充足される必要はない。
もちろん低次段階が満たされない場合、高次意識に位置することははできない。
<複雑に絡み合う双対性>
段階を上げるほど、意識が「自→他(世界:宇宙)」へと広がる。それと同時に「外(物質)→内(精神)」へと深まる。なお、(いわゆる霊的)エネルギーは意識上で閉塞、無意識上では開放といわれる。
<物質世界と精神世界の乖離>
実際の行動や社会の仕組みは、意識レベルよりも低次のものとなる:意識からそれと同レベルのものを創造(具現化)することはできない。同じく、自らの段階を正しく査定することは、非常に高度な意識状態が必要となる。
<輪廻:サイクルであること>
低次から高次へ、数字は上昇しているように表記したが、高次意識であるからすべてを解決できるわけではない。全ては繋がっており、そのバランスの崩壊は秩序の崩壊でもある。
<自身より高次の世界は理解できない>
子どもが物事を理解できないこととと同じように、自らより高次の世界に触れたことのない場合は理解できない。それどころか、夢物語や笑い話と感じてしまうだろう。まずはその世界を発見すること、そのための環境に身をおくことが第一歩となる。
「自らの考えが正しい」と感じた瞬間、立ち位置は意識上に縛られ、より高次の世界への道は閉ざされる。
<図式化の問題点と限界>
表現すること自体が意識的な活動であり、物質への囚われの中で行わなければならないため、どうしても違和感が残る。図式はあくまでも視覚的な参考にすぎず…実際の意識の動きは、捉えることのできない流動的な在り方だろう。
【あとがき】
究極的には非二限に至る道筋をあらわしたいが、「表現する」という行為の時点で「思考」するため、「二元/多元化は避けられない」という流れを踏まえた。
物質的世界で「生きる」ことは、思考を伴う活動となる。「思考する」という行為が、意識を探求する上で課題となる「二元性」を生む。一方いわゆる死後の世界においては、器としての肉体が定義されないため、「思考する」という行為はなくなる。つまり非二元が原則となる。これらは思考しない故に、観測も一般的な次元では不可能である。
「死後の世界」と「死=無」は並列で成り立つ。双方とも同じ「死後の存在」を思考の上で表現しているに過ぎない。「ある」「ない」論争がすでに物質的世界の産物であることに留意。それらは同時に存在することがあり得る。
「肉体的な死=精神的な生」と定義するのであれば、その逆も成り立つのだろう。
もっともこのサイクルはヒトに対してだけではなく、モノやコトに対しても同じように成り立つはずだ。体験された出来事は、物質的な生の記憶(外面)から、精神的な生の記憶(内面)に転化し、あるキッカケによって物質世界へ引き出される。結果として、サイクル理論は全て「輪廻」で表すことができる。(ただし死→生の観点がなければ、上昇型の段階表現になる。)
【まとまらないおもいつき】
・意識段階が9段階:10次元×時間=11次元?
・全体、各段階かかわらず全てが「物理の法則」の上に成り立つ。
・つまり、体験学習サイクル含む、すべてのサイクル理論は生と死の繰り返しで表すことができる。(そしてスパイラルであらわすこともできる)
・そのサイクルを「物質世界の二元」×「精神世界の二元」であらわすことで、四象限が生まれる。(四有の考え方)
【今回から分離された次回分先取りメモのオマケ】
意識のエクササイズ
①今ここに気づく(無条件の受け入れ)
②自分以外のものの独自性に気づく(観察)
③自分の独自性に気づく(内観)
④創造されたものから創造主の独自性に気づく(感性を高める)
思考のエクササイズ
①自己を観察し、思考の両極性を自己の一部として内在化(バランスをとる)させる(意識の安定化)
②選択する上での障害(意識のゆがみ)に気づき、それらを受容する(障害を取り除く)。(無意識の意識化)
③他の存在(自己)の両極性(それぞれのバランス)を見極める力を高める。(集合的無意識へのアクセス)
④他の自己の両極性を受容する。(集合的無意識の意識化)
⑤自分の思考、他者の思考、集団の思考、それぞれの位置関係とバランスに注目する。
P.S.都合上わかりにくい表現が多くなってしまいました。あくまでも自分用メモなので、解説希望の方は個人的にお問い合わせください。