はじめましての島(やまのひつじ)

こんな騒動になる前、僕の中で「コロナ」と言えばビールのことだった。
思い出の味なのだ。

あれは20代のはじめ頃、勤めていた病院に嫌気がさし、逃げ出すようにグーグルにこう打ち込んだ。
「カフェ 住み込み」
自分を好きなことを総合すると、カフェをするのが一番良いんだとそのときは思えたから。
ところが、カフェはおろか飲食でバイトをしたこともない。
まずは働いてみよう。
そうしたら、検索結果にあるカフェが出てきた。
どこだろう。直島? 香川県だった。
当時、四国にさえ行ったこともない。
ましてや、安藤忠雄や草間彌生も知らない。
もっと言えば、アートや建築なんかに興味のキの字もなかった。
でも、とにかく島という響きにひかれ、なんの躊躇も予備知識もないまま宿と高速バスをすぐに予約した。
9月の3連休だった。

金曜日の仕事を終え、電車に飛び乗って新宿へ。
バックパッカーという概念すらなく、修学旅行に持っていくようなダサくてでかいカバンに荷物をつめて。
そうだ、履歴書があったほうがいいんじゃないか。
そう思って、セブンで飲み物と一緒に買う。
トイレ休憩を何度か繰り返し、バスは高松駅へ。
とてもとてもよく晴れていた。
初めて顔を合わせた瀬戸内海は、これでもかというくらい太陽を含んでキラキラとしていた。
直島に渡るためには、高松港から船に乗る。
いろんな形の島がぽこぽこと隆起していた。
三角形の島が気に入って、買ったばかりの一眼レフで何枚も何枚も写真を撮った。
たしか40分くらいで島には着いた。
港には赤いモニュメント? があって、その周りには人が群がっていた。
草間彌生の名前はそこで初めて知ることになる。

宿は安いという理由だけでゲストハウスにした。
当時の自分でも自分に驚いていたけど、チェックインのタイミングが同じだったお兄さんに飲みに行かないかと声をかけていた。
今までそんなことしたことなかった。
簡単に言うと旅がそうさせた。

僕らはチャリを借りてあちこち走り回り、2人組で来ていたお姉さんたちとお酒を飲んだ。
ひとり旅、美術館、現代アート、ゲストハウス。
なにもかもが初めてのことだった。
なんども見たはずの海さえも、所変われば全く別のものに見えた。
旅が人生が変えてくれるなんて全くの嘘で。
旅の中で変わっていった自分が、自分を変えた。
人や景色と真っ白な状態で出会う楽しさを知って帰って来た。

そうそう、コロナビールはそのとき初めて飲んだんだった。
初めてづくしの、初めての味。

(やまのひつじ)

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