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耳の席が空く

昔から何もしてない瞬間が苦手で、体育館での朝礼とか全体集会などいつも途中で手を挙げて保健室の先生に介抱してもらったり、ずっと足し算してたりと何とか辛抱して頑張っていた。

今は、そういうマジで無の時間は少なくなった代わりに本当に何もしなくていい時間は本当になくなったと感じる。

一時的に暇だったとしてもだいたいその暇の後ろには大きな口を開けて“やらなきゃいけないこと”が待っている。

別にそれが嫌な訳ではなくて、個人的にはやることがある方が一日をぱんぱんに詰め込めるから好きなのだけれど(お得だと思っているから)、流石に気持ちの持ちようも密度が高い日の考えの流れ、なんとなく忙しい時の思考になってしまう。

大体僕は連想ゲーム的な思考で色々見たり聞いたり話したりしていて、やることが多いと、どうしても今の目の前のパソコンに写っている話題に脳みそが戻ってきてしまうのであまり目の前のやることの順路から道をはずれることが出来ない。

バイトがほんとにそれそのもので、当たり前だけどやることがあるせいで、体以上に思考が縛られている感じがしてしまう。

正直別に嫌って訳でもないけど、そればっかり、同じことを考えている時間が多いことは嫌だなと思う。

だからこそシャワーとか寝る前は僕の中で強制的に頭が空っぽになる瞬間なので、いっぱい考えるようにしていて、今のの扉が閉じる前に急いで次の扉を開けて色々なことを考えるようにしている。

連想ゲームと言う通り、僕は考える時に扉のイメージがかなり強く頭の中にある。連想ゲームは何個分進んだとしても、他のことに気をそらされてしまうと、その連鎖が終わってしまうので、頭空っぽにできるところでやれるのがいい。

だからこそ、本当に物事に集中する時は音楽を聞かないで作業するようにしている。どうしても頭の中がその音楽に占拠されてしまって集中できないので、嫌々その方法を取っている。

もちろん最初の勢いをつけたいなど、明確な理由がある時は別として、音楽を聴くことをなるべく避けたい。

でも結局どんな時でもイヤホンを耳に突っ込んでいることが多くて自分にうんざりするときがある。


そんな時にイヤホンの充電が切れていると、少し嬉しくなる。

なんでもない雑談を盗み聞きしてみたり、車の音聞いてみたり、風とか、今まで聴けていなかった部分に耳を傾けられる。

本当は全ての五感に対して選択したものじゃないものを与えて、もっともっと自然に生きていけたらなと思う。でも今は選択さえもしていない、選択の余地を奪おうとしてくるものばかり自分で摂取してしまうし、そのような意図を持ったコンテンツに五感が支配されるのはつまらないし、それに抗えないのは情けないなとも思う。

最近都知事選があった。僕は何も分からないし、結果的に今も何が正しいのか分からないけど、Twitterをみていて、本当に僕の目の前に出てきている情報はありのままなのかと怖くなった。

陰謀論とかではなくて、スマホで見る限り僕に飛び込んでくるものはどこかで僕に向かう意志を感じるしそれが本当にいいことだと思えない。

もっとそのままの世界を感じるためにもまずはイヤホンを外してみてもいいのかもしれない。

それでも最近はBillie EilishのCHIHIROにハマっていて、青と緑の彩度が大きく上がるので本当に夏にオススメです。

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